玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

もう少しでバイバイ

2018年09月01日 | アトランタ便り

 新学年がスタートし一ヶ月近く過ぎようとしている。学業(中国語は2年目の生徒と同じクラスは変わらないが、補習時間が始業前週2回加わる)もスポーツも軌道に乗りつつある。私に期待されていた大まかな用事はほぼ果たした。この10年近く、引越しの度に荷物もそっくり移動し、捨てたら?と問えば誰かに回すとか寄付するからと言いつつ、その形跡もなく古びていった電気機器や物品。それらが今もそう広くもない倉庫・アチコチの物入れ・クローゼットに幾つか未だ残っている。今回は倉庫内の数品は廃棄してから報告した。私にはその心理が不明なのだが、単に片づけないのは言訳に過ぎないだけ?娘は来米当初2人目の乳児も抱えており、元・夫は仕事の都合で先に帰国していた為、私は自分でも使ったことのない「自動パン焼き器」を購入し、子守り兼で訪米した。その後も、共働きを始めたので子守りもあって年に1~2回訪米した時もあり、その間4~5回アパートを変わった。パン焼き器は梱包されたまま冷蔵庫の上に鎮座しており、「捨てるよ」と断り即ゴミ置き場に投入した事もあった。今も学用品を始め、靴、鞄、バッグ、水筒等私には目一杯見えるが当然ながら私の知ったこっちゃナイ。

 さてさて私の残り時間は手料理の保存食を冷凍するだけ。買い物は週一回でのヤリクリ。たまに帰路スーパーへの寄り道を頼む。食材と食品庫や調味料の残り具合を見ながら、使える物の使い切り、古くなるのが予想される物は新品に入れ替えたりコッソリ廃棄したり。「余計なお世話」と承知はしてるが、一々指摘するのも疲れるし、コチラも根負けしたりついには感情的にもなる。冷蔵庫内の物でも時に「捨ててもいいよ」とアッサリ言う。下手に相談すると要るものだと宣うのでコッソリ捨てる。実情は気づきもしない。帰国後少々体重が減るのは「貴女が遣り過ぎるから」と連れ合いは常にそう言う。その辺が父親と母親の相違ではあるまいか。

 

 昨年の手伝いは、一応最終的な引っ越しとなり片づけの為1~3階を何度も往復し、初の事だったが動悸を自覚した。今回は最初にそれを伝え自分でも自衛している。その為かいつになく娘は私の体調を問う。最後の5週目に入り、これ迄の様に食料の作り置きをした方がいいのかな?とワザと聞いた。出来れば沢山と即答あり。娘のメキシコ出張中、孫達は元気よく食べはするものの娘の言う様に美味し~いとは言わない。娘は毎晩「美味し~い・美味し~い」と笑顔をこぼし食べてくれる。朝に夕に忙しい娘は共働きをして来た私と重なる。気遣いの足りなさや片づけの苦手意識には苛立つが、時に腹立さえ覚える率直さやその楽天性は決して私は真似出来ない。なればこその異国でのシングルマザーに「頑張ってるよね!」とエールと一種の敬意すら抱いている。

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