私の住む地域では農地の宅地化が急ピッチで進んでいる。一つの場所で30戸前後を一挙に建てる大型計画があちらこちらで進行中だ。その勢いが衰える気配はない。ここらは江戸時代の新田開発の名残である短冊形の農地が数多く存在している。現在の地主たちが先祖代々の土地を手放しつつある。蕗の薹を摘んでいた土地につぎつぎに家が建つ。
東京一極集中の弊害は時おり話題になるものの、いつのまにやら立ち消えになる。それのくりかえしだ。これは地方の過疎化問題と表裏一体のはずだ。自民党の総裁選で、この問題をひとり石破氏が訴えていたが、大きな広がりにならなかった。マスコミが、もっと執念深くこの問題を取り上げるべきだと思うのだが、なかなかそうはならない。
最近建てられた戸建てが並ぶ街並みに、これまでとは違う印象をもつことがある。どうやら車庫の置き方によるものだ。敷地の道路側全面が車庫スペースになり、家屋は奥に引っこんでいる。車は玄関前に道路と平行に駐車する。道路沿いに車ばかりがずらりと並んで、まるで車の展示場の様相を呈する。これだと車の出し入れは簡単ではある。この変化を開発業者に確かめたい気がする。
斜向かいに世話好きな目上の女性が暮らしている。遠くの家の前を掃き清めたり、他人の家の草花に水やりをしてくださる。ここらの子どもたちは、何度もおやつをいただいたことがある。我が家の玄関前の鉢に、みずから買ってきた草花を植えてくださる。枯れると「気にしないで」と新しいものに植えかえる。その方の家の隣や近くの更地に新しく三軒の家が建った。引っ越してきた若い世帯の三軒のうち二軒は表札を出していない。そして、三軒ともできれば近隣のおつきあいは遠慮したいという風情である。なんだかさみしい。向こう三軒両隣が死語になりつつある。
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