玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*菜根譚(一)

2016年11月10日 | 捨て猫の独り言

 ラジオで「サイコンタン」と聞いた時は、どんな字を書くのかさっぱり見当がつかなかった。録画しておいた「唯識で読む菜根譚」というテレビ番組を見てようやく知った。中国の古典の一つという「菜根譚」の存在をこれまで全く知らなかった。番組の話し手は興福寺貫主の多川俊英氏でぼろぼろになるまで読み込んだという文庫本の「菜根譚」をかたわらに分かりやすく解説していた。(ヒメアカタテハの幼虫の食草であるゴボウと成虫の蜜源であるウドの花)

 

 吉田兼好の徒然草から約300年後の明の末期に洪自誠によって著された随筆集だ。日本では江戸時代の武将から吉川英治、田中角栄、川上哲治などまで400年近くも読み継がれてきたという。儒仏道の三教がみごとに融合し、中でも禅仏教に関するものが多いようだ。堅い菜根をかみしめるように、苦しい境遇に耐えることができれば人は多くのことを成し遂げることができる。

 多川氏の語ったことで私の記憶に残っている二つのことを記しておこう。「悪をなして人の知らんことをおそるるは悪中になお善路あり。善をなして人の知らんことを急ぐは善処すなわちこれ悪根なり」これを紹介して善悪ははっきりと線引きできるものではないと多川氏は言う。「善悪の境界は、まあ点線だということ」と話す目が笑っていた。

 つぎは「人の小過を責めず、人の陰私をあばかず、人の旧悪を念(おも)わず」陰私とは私的な秘密のこと。こんなやさしいことに深く共感している自分に気付く。ここでいう人とはまずは自分のこと。寝床でよく思い起こすこれまでの小過、陰私、旧悪でいつまでも自分を追いこまないようにしよう。つぎに一番身近な人に対して心がけるとたしかに円満に生きていけるのだ。 

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