久しぶりに続柄の呼称について調べた。「ジジのママ」は「曾祖母」と言い「ひいおばあさん」と呼ぶ場合もある。英語では「great-grand mother」である。私には鹿児島市で2年ほど前から施設に入っている91歳の母がいる。アトランタからの短期留学の2人の孫娘に再会させるため、私は孫娘を連れて二泊三日の帰省をした。2カ月半前に航空券を予約してあった。その前々日は東京体育館のボリショイサーカスを祖母と見学した。学校を休まなかったご褒美である。
空港で弟夫婦の出迎えがあり、錦江湾沿いに桜島を眺めながら鹿児島市内の母のいる施設に案内される。孫はボルケーノという単語を発した後に桜島は発音しにくいようでサクランボとくりかえしていた。到着した施設の部屋で6人ほどの親戚と短時間の再会を果たし、こんどは妹が一人付き添ってあわただしくフェリーで桜島に渡った。宿泊したのは国民宿舎レインボー桜島である。
足元のおぼつかない母を送り届けた妹は姿を消し、2人は和室で曾祖母が用意したお絵かきセットなどで過ごす。熱帯性の夕立に見舞われ、あきらめかけた8時からの水中花火が15分遅れで始まると歓声を上げて窓のカーテンを引いた。翌朝は早起きして3人で人影のない宿舎前の岸壁を散歩する。驚くほど近い距離の海面に二人は初めてというイルカのジャンプをいくども目撃した。
9時出発のフェリーを4人が降りると、先日の妹の子である姪が車で出迎えた。孫たちとは顔馴染だ。薩摩半島の南端にある坊津の港から、小舟で無人島に渡りそこの浜辺で海水浴という趣向だった。外海に出ると波しぶきを浴びる。帰りは荒々しくしゅう曲した断崖を見学しながら船は港に帰る。岸壁で小アジを釣っている二人の若者がいて二人に釣竿を持たせてくれた。おもしろいようにつぎからつぎに釣れる。この日5人は国民宿舎吹上砂丘荘に泊り、翌日は城山の展望台に登り空港へ向かった。曾祖母は空港で別れるまでの三日間を私たちと行動を共にした。
本ブログは若い方の記事でいっぱいなのに申し訳ないです。老健の医師からは「年齢のほうが体力に優ってくると・・・」と言われました。丁寧で親切な医師でいつも敬服している方のお話なのでスムースにお聞きすることが出来ました。
親は幾つになっても偉いものだとつくづく思います。