玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*兄 小林秀雄

2015年02月09日 | 捨て猫の独り言

 図書館の大活字本コーナーにある高見澤潤子(本名 富士子)の「兄 小林秀雄」の(上)(下)2冊を借りてきた。2歳違いの兄妹で、兄は昭和58年に81歳で、妹は平成16年に99歳で死去した。この本の発行所は「埼玉福祉会」である。本の最後に、老人や弱視者に少しでも読み易い大活字本を提供することを念願とし、身体障害者の働く工場を母胎として製作し発行することに踏み切りましたという発行の趣意が記されている。

 この兄妹が最後までいい関係を続けたことに感じ入りながら読み進んだ。読後に非常に美しいものを見たという印象が残った。父が早く死んで、病弱な母と兄と妹の3人家族だった。兄は中原中也の愛人長谷川泰子と同棲することになったが、破綻して愛人を家に残したまま行方をくらます。深くて真剣だった恋愛の辛い結末の状況の中で妹だけには手紙で心情を告白している。(写真はロウバイ、紅梅、オープンギャラリー

  

 泰子はその後も出没するが、兄と妹はそれぞれよき伴侶を得て、この事件を乗り切っていく。兄は妹を「お前さん」と呼んだ。「私は月に一遍ぐらいぐらいしか鎌倉へ行かなかったが兄と二人で向いあって晩酌をするのが一番楽しかったし、勉強になった。酒が入ると普段は無口なのに急に雄弁になっていろいろなことを話してくれた。それはみんな真実さがあって私の心にぴんぴんとひびき、深く浸み込んでいく教えであった」

 さらに引用を続けよう。「兄は愛の人であった。自分の仕事に対しても随分苦しみもしたが、非常に大事にし、愛していたことは確かであった。そして、チェホフのように人間を愛し生活を愛していたのである」と書き、「友だちはだいじにしなければいけないよ。自分が選び自分が創るものだからね。同時代に育って、理解しあうもんだろう。子供は偶然の出あいだし、違う時代に生きていくからね。気があわないのも無理はないんだ」と兄の言葉を伝えている。

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