玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*韓国で旅客船沈没

2014年05月12日 | 捨て猫の独り言

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 玉川上水緑道を歩くと、みるみるうちに繁った木々の若葉が日光をさえぎり、肌寒く感じるほどだ。人通りの多い緑道を、地表まで舞い降りて平然と餌をつついているのはムクドリとキジバトだ。とりわけキジバトは人が近づいても避ける様子もない。市報によると、10日(土)に小平市グリーンロード推進協議会の「玉川上水自生野草観察会」、11日(日)に「こだいらグリーンフェスティバル」で苗木や植物資源堆肥やカブトムシの幼虫の無料配布、種苗交換会があり、24日(土)にユネスコクラブの「第45回玉川自然観察会」とある。

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 このように私が参加している「玉川上水オープンギャラリー」の観察会の他にも、多くの人たちがいろいろなグループごとに玉川上水に親しんでいる。また小平市には江戸時代以降の用水路が残っていて、いまでもその用水路には多摩川の真水が流れる。この小さな流れが小平市民に潤いと安らぎをあたえている。市では市民に呼びかけて年に一度「用水路の沼さらい」を実施している。今年は15日(木)から18日(日)までの4日間は市内全域で用水路の水が止まる。そして18日の日曜日に用水路近隣の住民が一斉に出て沼さらいに協力する。

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 4月16日に韓国で旅客船が沈没した。最初は「沈没中」という進行形で表現された文字報道で事故を知った。そのうちテレビ画面に横倒しになった船体の刻刻変化していく状況が写し出される。救助作業や乗客の家族の心配や抗議の様子などが連日のように報道された。事故の最大の原因は積荷の過剰と積荷の管理のずさんさにあるのだろう。乗客の半数以上は修学旅行中の高校生だった。この船は1994年に建造され「波の上丸」として鹿児島・奄美・沖縄航路に就航していた。その後売却され昨年の3月から「セウォル号」として仁川港と済州港を結ぶ航路に就航していた。

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 この船歴を知って特別に思うところがあった。私は1999年と2004年の2回、フェリーを利用して奄美に旅行している。この2往復の中でマルエーフェリーの波の上丸に乗船した可能性はかなり高い。それだけに今回の韓国での事故が身近に感じられた。関連して思い出されたのがちょうど70年前に起きた「学童疎開船・対馬丸」のことだ。1945年の3月の沖縄戦の前の年のことである。8月22日に那覇港を出た対馬丸は翌日の夜に、那覇と鹿児島のほぼ中間に位置する海域で米軍の潜水艦の魚雷攻撃により撃沈された。当時10歳で生き残った方の話の中に「恐ろしく蒸し暑い夜だった。窓も扇風機もない船倉をそっと抜け出し甲板で寝ていた」とあった。(写真は11日に亀戸駅界隈にて)

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