玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

夏の再会

2005年08月13日 | 捨て猫の独り言
2年続けて7月末に鹿児島に帰った。両親のいる鹿児島市内には弟と下の妹が所帯を構えている。妹は自営業なので忙しい。弟は公務員だ。帰省のたびに弟には世話になる。滞在中のある一日を車で案内してくれる。今年は弟家族の手づくりのカヤックに乗せてもらった。まず弟の奥さんの実家がある薩摩川内市までドライブした。そこを拠点に、介護のため神奈川に家族を残して帰っているというお姉さんをまじえた大人4人が童心に返って、唐浜の海水浴場でカヤックを漕ぎそして泳いだ。陽射し強く人影まばら。姉妹によれば子供の頃にあった松林がなくなっているという。

昨年は開聞岳のあたり知覧、山川、指宿を回った。このとき年老いた両親も一緒だった。1985年に知覧町の公費で建てられた平和会館はありふれたデザインの建物である。そこに父の戦友会は石灯篭を奉納した。父の名が刻印された灯篭を皆で探した。父はあの戦争のことを話すときは几帳面に事実のみを淡々と話す。なぜか私は平和会館の展示の有り様についてこれまでに父と議論したことはない。

平和会館は壁に特攻隊員の顔写真そして手紙と日記の遺品が展示の核になっている。若さゆえに虚勢をはるのはありがちなことだ。若い男は華々しい死をロマンチックにみがちなものである。彼らは自らの死を喜ぶように育てられた。若々しい理想主義が逆手にとられ無駄な企てに動員された。特攻攻撃は全くの命の無駄遣いであり、戦争を長引かせる役にしか立たなかった。平和会館には無理な戦争をやった政府や軍閥への批判が抜け落ちている。自己犠牲の美化への飛躍は単なるセンチメンタリズムといわれても仕方がないのではないか。彼らの行動が平和にどう貢献したのか私にはよく理解できない。

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知覧のことですが若い日に訪問した石原慎太郎氏が... (ドンキホーテ)
2005-08-13 08:24:03
知覧のことですが若い日に訪問した石原慎太郎氏が号泣したそうです。国家があり犠牲があり死の美学があった。石原氏が個人的に感動するのは勝手だが他をまきこんでほしくない。私はたくさんの遺書を読みすすむうち顔がひきつり涙がおさえられなかった一人です。県人として来るのが遅かった。そして自爆を暗黙に強制しマインドコントロールにかけた為政者に怒りがこみ上げてきます。若い元気な肉体をなんでまた、母親たちは畳をかきむしって泣いたと思う(その表現すら許されなかった)。記念館として残すのであれば事実をありのままに公平な展示を望むのは同感です。


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