玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*仏教のことなど

2021年03月29日 | 捨て猫の独り言

 再びの春、その気配が満ち満ちてきました。まず水の冷たさが違います。大気もそうです。いつのまにか、カキに続いてハナミズキが芽吹きはじめています。蕗の薹のあとの地表を、蕗の若葉が覆いつくそうとしています。ヤマブキの黄色が鮮やかです。4月から碁会を再開しますとの連絡がありましたがどうなることでしょう。(世田谷区瀬田にて)

 

 浄土真宗如来寺住職の釈徹宗さんは内田樹と親しいようです。そんな釈さんの簡明な解説を知りました。《死と生は仏教では裏表で「生死(しょうじ)」と一つに括ってしまいます。そして「生死」とはすなわち「迷い」と言うことになっています。一応迷いの対極が悟りという図式になります・・・》

 ところで真宗教団では、死は「ケガレ(負の日常)」ではない、死を穢れと捉えるといろんな偏見を生み出してしまうという視点に立って、お清めの塩を止める運動を何十年も前から実践しているそうです。宗派を超えて、仏教会単位で取り組んでいるところもあるといいます。初めて知りました。

 葬儀のときのお悔やみの言葉は本当に難しいものです。「悔やみと」いう落語を聞いたことがあります。お悔やみに行ったら「何と申し上げたらよろしいやら」というのと、「首を縦に振る」のと「首を横に振る」のとこの三つで行けと言うのです。生死の現場では「下手な言葉は何の力にもならない」ことを痛切に感じさせるよくできた落語です。

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