小説には、ガジュマル、フクギ、仏桑華(赤花=ハイビスカス)、ユーナ(オオハマボウ)、マクマオー、デイゴ、沖縄松、ソテツ、アダン、龍舌蘭、クバ(ビロウ)の草木が登場している。これらの植物のほとんどが焼き尽くされ島は無残な姿に変わり果てた。南に下がったところで同じく死を免れないのであれば自分たちの壕で死にたかった。そこは自分たちの手で堀り、長く馴染んできた古い我家のような壕であった。
他の章と異なり第四章だけは転調して、会話が多くなっている。読んでいくうちに私は第四章が昨年暮れのNHKラジオの高校講座国語総合で5回にわたって取り上げられていたことに気付いた。そのうちの何回かを私は寝床で聞いている。軍医である「私」は突然現れたある娘に頼まれて、軍に見捨てられた重傷者の手当てをする。娘は軍に所属する者ではないことがわかり、民間の看護婦がこの危険な場所に残る必要はないと考える「私」は、娘にもっと安全な南へ行くことを勧めるが娘は受け入れない。(写真は白梅、福寿草)
当間キヨは家族が皆、慶良間で死に、自分だけ生き残っても仕方がないと思っていたのだった。「私」が説得を繰り返すうち、ようやくそれに応じてくれたキヨだが、いざ出発というとき、娘はやはりここに残ると言って別れる。その後、再びその陣地に戻ってきた「私」は敵の攻撃によって姿を変えてしまった壕を発見し、壕の中の白骨化したキヨの前にひざまずく。人間としての優しさを持った娘が戦場という地獄の中で、取らざるをえなかった行動、そのことのむごさ、悲しさに打ちのめされたのだ。
作者はあとがきに、「作品の中に書いた人物のうち、K氏の手記に書かれた実名をそのまま記したのは当間キヨさんだけである。沖縄戦争のために命を失った多くの沖縄の人々に特に哀悼の意を表したいためである」と書いている。さらに追記もあり、作品の中に嘉手納海岸への上陸が開始された翌日の夜、鹿屋にいた軍医長が小禄飛行場に強行着陸して帰任するところがある。作品発表後に、かつて軍医長を乗せた飛行機の乗員から作者に連絡があった。その乗員から鹿屋基地を発進することに決定した状況を直接聞かされ、作者である田宮虎彦はいたく心を動かされたという。事実は小説より感動的だ。 (完)
私は前回のメールをする前に「沖縄の手記から」を検索したところ、貴兄の書いておられる「ラジオ講座」を見つけ、アクセスしました。ラジオだとよく分かるようです。後半は、はじめて見る文章のようであり、新鮮さも増しました。
作者のあとがきは真に迫ってきます。
久しぶりに教科書を読んだような気になりました。ありがとうございました。