一年中休むことなく毎週土日は日本のどこかで競馬が開催されている。手続きをして二年前からパソコンで投票できるようにした。孫の女の子は生まれて一年と四ヶ月になった。週末には泊りがけで来ることが多い。そのせいか私の中央競馬会への献金は減少することになった。また日曜の囲碁のNHK杯や大河ドラマを見逃すことが多くなった。そんな生活の変化を苦にしているわけではない。
来年の六月以降この家族は外国で暮らすことになるかも知れない。年明け早々に第二子(4人目の孫)が生まれる予定である。これまた女の子だという。それ以外のことについては今後のはっきりした生活の見通しが立てられない事情にあるようだ。私達は事の成り行きを見守るだけである。
食事を口に運んでくれる人に対しては格別な認識があるようだ。食卓でもレストランでもそれは婆の役目である。お風呂もこの二人で入る。最近両親を尻目に婆に甘える仕草を見せたことがあった。甘えるのが上手だねと思ったのは私の誤解だったか。爺といえば抱いて室内灯のスイッチの前に連れて行きオンやオフを繰り返す遊びの相手をする。単調な作業になるが細長い紐や白黒の碁石でも遊ぶものだ。
先日自転車に 「子供のせ」 を取り付けて待ち受けていた。抱いて散歩に出るよりこの方が疲れない。はるかに遠くまで足を伸ばすことができる。昨日初めて乗せてみた。泣いて抵抗したが気をそらしながら押し込むとすぐに慣れて平気な顔をしている。風を切って走る感覚は気に入ったはずだ。帰宅の時に両親は車に乗り込み私達が後部座席のベビーシートに納めようとすると激しく泣いて抵抗する。きっと別れが悲しいのだと誤解した。父親が助手席から下りて来てベルトを締め、運転席の母親がすばやく哺乳瓶のミルクを与えると泣き止んでそれを両手で挟みちらりとこちらに視線を向けてすぐに走り去った。
でも、やっぱり「甘いのはほどほど」にできないですね。