樹木の新芽が出始めて、あたりの景色が日を追うごとに変化してゆく。四月初めのこの時期ならば小学生であれ大学生であれ新一年生はすぐにそれだと分かる。彼らとすれ違いながら、新たなことが始まるという予感にこちらも少しこころ揺さぶられる。つまり日々新たに過ごしているかと反省したりする。
武蔵野美術大では、学生の卒業制作を展示する「優秀作品展」が4月4~29日までキャンパス内の美術館で開かれている。美術館では年間を通じて無料で多くの作品展が開かれる。自宅から徒歩15分の距離に芸術作品を鑑賞できる場所がある私は幸せ者だ。どの展示室にも係り員が配置されている。
現在購読している朝日新聞は夏目漱石作品を復活連載している。私はこれまで国民的な作家である漱石の作品をまともに読んだことはなかった。きっかけは先月の「夢十夜」の連載からである。夢を記録したかのような掌編集だが、もちろん本当の夢とは異なる。第一夜の女の墓の傍らで百年待つ男の話は特に興味深く読んだ。今月は「吾輩は猫である」を連載中だ。またこの機会に夏目紳六著「父・夏目漱石」を大活字本で読むことにしている。
漱石は落語や講釈を好み、子供のころからよく寄席に通った。漱石と鏡子夫人の間には五人の女の子と二人の男の子がいる。この事実を知り私は漱石に親しみを覚えた。40歳で朝日新聞社に入社。46歳で強度の神経衰弱を再発。今の言葉でいえば適応障害だろうか。ついでながら8日の朝刊に、アルバイト唯根孝一(茨城県58)さんの投書があった。「僕は総合失調症だ。実はこの呼び方を気に入っている。ぼくが発症した40年ほど前には精神分裂病と呼ばれていた」とあった。
一昨年になると思うが、熊本の漱石旧居に行った。3,4度目になると思う。庭に「ホトトギス」の花があった。後で思うと「坊ちゃん」が掲載されたのが俳句誌「ホトトギス」だったのと関連づけたのであろう。粋なはからいである。
また、漱石の「草枕」の冒頭の文「知にはたらけば角がたつ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。・・・・」は今でも納得する文だ。