年金生活者となってほぼ15年が経過している。今さらながら、この社会あるいは世間というものはありがたい仕組みになっているとつくづく思う。農作物や海産物、畜産物などの食料品をはじめとして、身の周りのもので私が産み出したものは何一つない。にもかかわらず私は日々の暮らしを送れている。このことだけでも私が生きていることについて私は何者かに感謝せずにはいられない。
これまで窮乏することもなく、退屈にさいなまされることもなく平和な時代に生活できることに感謝せねばならないだろう。物ではなく人間精神の領域に属するものが生活の中で大きな比重を占めていることに気づく。たとえばスポーツや囲碁将棋などのプロの技に魅せられる。また詩人や小説家や画家、音楽家たちの感性に驚かされる。何事においても受け身であることは残念だが、これが私と言い聞かせている。
最近の我が家のトッピクの一つは、ショウヘイ・オオタニだ。これまでMLBに見向きもしなかった家人が、オオタニの活躍に注目するようになった。それはそれで慶賀すべきことだが、マスコミが勝負以外のくだらないことまでを取り上げてオオタニについて報道することに辟易している。こういった不満を含めて退屈することなく私の暮らしは続いてゆく。
谷川俊太郎は1931年12月15日生まれの92歳だ。月に一度新聞に書き下ろしの詩が掲載される。6月は「昼寝」だった。「午後二時である ちょっと眠ろうと思う 雨がしとしと降っている 静かだ 静かはいい うるさいのは御免だ ・・今朝地震があった 思い出すが気にしない だんだん心の色が褪せてくる・・何もしない ぼうっと雨と電線をみている 言葉らしきものが 生まれては消えてゆく 遠くで銃声 人声に 若い笑いがまじる 世界は恙(つつが)ない」