文春新書「囲碁心理の謎を解く」の江戸囲碁川柳の章から。解説がないと理解不能な川柳も多い。理解が深まれば江戸庶民の生活感情がひたひたと迫ってくる。
●碁会所で見てばかりいるつよいやつ→強い人は弱い人と打つとつまらないので強い人がくるのを待っているということ。強い人に打ってもらって学ぶことが多い私などは、こんなつよいやつは好きでない。どうかお相手願います。
●先ず碁笥を引っ張りあふも礼儀也→下手が黒石を持つので、黒石の入った碁笥を引っ張り合って譲り合う風景。
●目算に寝浜はさせぬ碁の上手(じょうず)→「寝浜」とはあらかじめ相手の石を隠しておいて、それを挙げ浜(対局中に取った石)として相手の陣地に戻して相手の地を減らすこと。不正な手段である。上手は目算ができているのでそういうインチキは通用しない。
●如来手は仏教にない碁方便→「如来手」とは死んだ石を救う妙手のこと。死んだ者を生き返らせるというのは仏さまでもしないことなのに、碁にはあるんだ。如来手を喰った者のなんとも悔しい気持ちが表れている。
●官職の征(しちょう)もぬけて百姓碁→「征」とは追いかけられて盤の端までいって、ついに取られる形をいう。つまり「逃げられない形」。堅苦しい官職を止めて、はれて自由の身になり百姓をしながら碁を打てる幸せ。しかし碁の中身は下手な百姓碁と自嘲ないし謙遜している。
●手見禁(てみきん)になさいと髪結待っている→「手見禁」とは「待ったなし」のこと。髪結の順番を待っているうちに、皆終わってしまって碁を打っている客だけ。髪結さんの方が待つことに。「待った」をしなければ死んで終わりのはずなのに「待った」を繰り返していて、なかなか終わらない。髪結はいらいらして「待ったなしにしなさい」と言う。
●盆暮は女竹男竹の先手後手→夏は七夕のとき男竹を使い、盆の飾りつけには女竹を使う。男竹が先で女竹が後。冬は暮の大掃除の竹には女竹を使い、門松には男竹を使う。この場合は女竹が先で男竹が後。このように夏と冬とでは使用する男竹と女竹が先手になったり後手になったりするという意味。