玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*再び養老先生

2024年02月05日 | 捨て猫の独り言

 養老先生がその手の内を語ったことがある。「学問の秘訣というのは、とにかく問題を一番極端な所まで持っていくことなんです。たいてい学問には両極があり、一番極端なところで成り立つ話と言うことを考えれば、あとはどうでもいいんです」

 ここで学問とは、ひとつの体系だった秩序と世界観でまとめあげられた思考のことと解釈してよいだろう。有名な「唯脳論」の展開を見ていくことにする。ここでの両極端は「脳」と「身体」だろう。ヒトの歴史は「自然の世界」に対する「脳の世界」の浸潤の歴史だという世界観が示される。

 意識と無意識という両極も登場する。意識とは何ぞやについては、ひとまず「意識(心)とは脳の機能である」と定義される。しかしその正体は何なのかよく解っていないとした。唯脳論は「心身二元論」でも「心身一元論」のどちらでもないと言われるゆえんだろう。

 養老先生の思索は両極を振り子のように移り続ける。唯脳論は脳への眼差しを社会に伝えたが最後はアンチ脳の態度を表明する。「ひとたび大地震に見舞われれば脳化の産物たる東京などもろい。電気や水道のシステムが止まれば、人間は呼吸し、食べ、排泄する身体的存在だという当たり前の現実に向き合わざるを得ません」と語る。

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