安倍内閣になにか事あるごとに、コメントを求められてきたのが元成蹊高校社会科教諭の青柳知義さんだ。原因は1970年に成蹊高に赴任した青柳さんが授業の中で日米安保条約に反対の立場で話したところ、教室で安倍氏が疑問をぶつけてきた。そのことをのちに安倍氏が著書で触れたことによる。
なぜか私は自分の属する数学科より社会科の先輩教諭との交流が多かった。青柳さんがその一人だった。この3月に胸騒ぎを覚えながら葉書を出したところ、ご家族から折り返し電話があり、今年の1月に83歳で死去されたことを知った。そのあと私が要望し、生前の詳しい様子が記された手紙がご息女から届いた(青柳さんは奥様に先立たれていた)。
昨年7月8日の安倍元首相(67歳)銃撃事件の後にコメントを求められ「民主主義を根底から覆す行為で許されない。首相経験者への銃撃なんて戦前に逆戻りしたようだ。礼儀正しい生徒だったことを覚えています。長く首相を務めただけに、後世のために回顧録や在任中の記録を残して欲しかった」と語っている。
このときすでに青柳さんは癌の告知を受けていたことになる。「師匠は久野収」と一度だけ私にもらしたことがある。1998年には素人企画の20日間のハンガリー旅行に共に参集、2012年には民宿利用の4泊5日の沖縄旅行をご一緒した。西武新宿線沿線の酒場で二人だけで何度か飲んだ。退職後は毎年夏になると長岡に帰りサツマイモを栽培していたので、それを紙袋に入れて酒場にもってきてくれた。