平櫛田中(でんちゅう)は木彫の達人で、岡倉天心と深く関わる。平櫛田中彫刻美術館は玉川上水緑道に面している。玉川上水が気に入って、だいぶ前からこの土地を購入しておいたらしい。小平市に移り住んだのは1970年の98歳のときである。建てられた邸宅は大屋根の方形造りを特徴とする書院造り。設計は、国立能楽堂を設計した建築家の大江宏によるもの。
敷地内には田中が百歳のときに、20年後の制作のため取り寄せた彫刻用の原木が現在も庭先に鎮座する。なんという時間感覚だろう。ここで10年暮らして107歳で死去している。亡くなった時点では男性長寿日本一だった。邸宅は記念館となり、隣接地に彫刻美術館が建てられた。
このたび美術館では小平市制60年事業として、全国各地から作品が集められて特別展が開催された。生まれ故郷の岡山県井原市の田中美術館所蔵のものが多く運びこまれている。ポスターにも使われた「幼児狗張子(1911)」はいつもなら岡山まで出かけなくては観ることのできないものだ。
あと印象に残ったのは、最初期の作品の「樵夫(1899)」だ。これは個人蔵というから、いつでも観られるというものでもないだろう。入場者には遠方から来たと思われる方々がいた。私が何度も立ち入ったことのある記念館(邸宅)は、なぜかこの日は立ち入りできなくなっていた。小平市民としては、遠方から来ていただいた方に記念館を見てもらえないのは残念な思いだった。