トルストイのアンナ描写をいくつか取り上げてみた。「腕輪をはめたむっちりした腕も、真珠の首飾りをまいて、しっかりとすわった首も、やや乱れて波うってる髪も、小さな手足の気品のある軽々としたしぐさもいまや生きているその美しい顔も、どれ一つとして優雅でないものはなかった。しかし妙なる美しさの中には、なにかしら残酷な恐ろしいものがあった」
「初めてのこどもは、たとえそれが愛を感じていない夫の子であっても、どんなに愛しても愛したりない深い愛情がそそがれた。ところがこの女の子はもっともつらい境遇の中で生まれたために、初めての子の場合の百分の一も心づかいがはらわれなかった」というのがトルストイの見立てである。そんなもんかと私は思う。
「アンナの話しぶりは、自然であるばかりでなく、聡明であった。いや聡明であるとを同時に無造作で、まるで自分の考えはなんらの価値を認めないのに、相手の考えには大きな価値を与えるといったふうであった」「アンナは知性と優雅さと美貌のほかに、誠実さがあったのである。彼女は自分の境遇のついらさを、すこしも彼に隠そうとはしなかった」
アンナとヴロンスキーの報われぬ激しい恋に対して、理想主義的地主貴族リョーヴィンとキチイとの幸せな結婚を配し、それによって虚偽にみちた上流社会の都会生活と、地方地主の明るい田園生活が対比される。この二組のまったく異質な夫婦に、アンナの兄のオブロンスキー夫妻がからんで、当時のロシア社会のあらゆる問題を捉えながら、ペテルブルグ、モスクワ、農村、外国を舞台に物語は展開されている。