玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*奄美旅行補遺

2019年11月25日 | 捨て猫の独り言

 喜界島2日目の午前中に地下ダムを見学し、トンネルの出口にある農産物加工販売施設にあるカフェで休んだ。すぐそばにオオゴマダラを観察できるネットで囲われた場所があった。勝手に中に入ると食草や、蜜源の花々の間を「新聞蝶」とも呼ばれている無数のオオゴマダラがゆったりと飛び回っていた。食草のホウライカガミには「黄金色のさなぎ」が多数ぶら下がっているのを見ることができた。

 大相撲の西前頭二枚目の明生は瀬戸内町の出身である。期待が集まる24歳の力士だ。1965年に20346人いた瀬戸内町の人口は毎年減少を続け今年の9月末現在は8937人という。なかでも加計呂麻島などの減少は著しく中心地の古仁屋への集中化が進んでいる。加計呂麻島にある体験交流館に「広報せとうち」が置いてあった。その11月号の表紙には「明生関とせとうちの宝物たち」とあり、明生が島の宝物である8人の小中学生と一緒に写っていた。   

  最終日は一番のフェリーで加計呂麻島から古仁屋に戻り、観光案内所でくわしいバスの時刻表を手に入れて、一日乗車券を購入した。途中下車の最初はマングローブパークで、展望台からマングローブ原生林を見下ろした。つぎは鶏飯専門店での昼食、最後は奄美パークにある田中一村記念美術館で日本画鑑賞である。田中一村は栃木県の生まれ、奄美大島と運命的な出会いをした画家である。それから予約していた18:50奄美空港発の飛行機で鹿児島へ戻った。(喜界島のビーチと巨大ガジュマル)

 

 案ずるより産むが易しというが、今回の旅は人との出会いなどいろいろなことがうまい具合に展開したように思う。体力的にはきつかったが予定になかった自転車で走り回ったこと。90分かけて(料金は300円)喜界島をバスで一周したこと。黒糖焼酎の蔵で丁寧な説明を聞いたこと。加計呂麻の来々夏(ここなつ)ハウスが貸し切りだったこと。奄美大島縦断で予定になかったマングローブパークに立ち寄れたことなどである。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする