玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*ねぎの話と聖書

2019年11月07日 | 捨て猫の独り言

 「火の海でもがいている意地の悪いお婆さんは生涯に一度だけ畑からねぎを抜いてきてこじき女にやったことがある。神様はお婆さんの守り神の天使に、ねぎをさし伸ばして火の海から引き出せたらお婆さんを天国へやってもよいと言いました。大かた引き上げられたところへ、ほかの餓鬼どもがそのねぎにつかまりだしたので、わたしのねぎだよ、おまえさんたちのじゃない、と言うが早いかねぎはぷつりと切れました」というのが「カラマーゾフの兄弟」にある「ねぎの話」である。

 これは不幸な過去を負う奔放な美女のグルーシェンカが子供の頃に聞いた話となっている。アリョーシャにもっと早く会いたかったという彼女は、私はその意地の悪いお婆さんなのだからいい人間なぞと思わないでちょうだいと訴える。アリョーシャは感激の微笑を浮かべつつ、ぼくはきみにほんの小さなねぎを一本あげただけと応じる。師と仰ぐゾシマ長老によると僧侶の仕事とは、このようにねぎを与えることだとなる。(話題のスミレちゃん)

 

 ゾシマ長老はカラマーゾフ家の事件の直前に死去する。人々は偉大な長老の早すぎる腐敗のにおいに衝撃を受ける。アリョーシャはグルーシェンカと別れて夜遅く僧院に戻ると棺の前に身を投げ出す。パイーシイ主教の読誦の声に耳を傾けはじめたが、疲労しきったからだはしだいにまどろみに落ちてゆく。読誦はイエスが水をワインに変えるという「ガリラヤのカナの婚礼」の場面にさしかかっていた。

 イエスが初めて奇跡を行なう時にあたって、人間の悲しみでなく喜びを訪れたと作者は強調している。さて、ヨハネによる福音書は、ほかの三つの福音書とは枠組みや形式が異なるいう。内容が神学的にもっとも進んでいることから福音書の中で最も新しいとされているようだ。「初めにことばがあった」で始まる。これまで聖書には無知の状態で「カラマーゾフの兄弟」を読んでいた。この機会にあと少し聖書に親しんでみたいと思う。

コメント
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