平凡社の「死を想う」は、とりあえずとかすらすら読める本だ。伊藤比呂美が石牟礼道子と対談し、伊藤が石牟礼に遠慮のない質問をくりかえす。小さいころから父が酔っぱらうと必ず私たちをお仏壇の前に座らせて、それがうらめしかったですが、訳のわからないお経をあげてね。それは帰命無量寿如来で始まる親鸞聖人の「正信偈」でした。
「浄土ってあると思います?」あるんじゃないかという気がする。皆の願いがあるから。あれほど皆、先祖代々「お浄土に行かせてください」とか「後生を願う」とかね。人間は願う存在だなと思いますね。逆に言えば人間はそれほど救済しがたいというか、救済しがたい所まで行きやすい。願わずにはいられない。伊藤は「後生を願うという言葉はとても好きです」と応じる。
梁塵秘抄の歌がいくつか話題になる。熊野詣で有名な後白河院の撰だから、秘抄の歌謡には仏教の影響が著しい。「仏も昔は人なりき、我等も終には仏なり、三身仏性具せる身と、知らざりけるこそあわれなり」「今様」は今私たちが言う流行歌とはちょっと違うけど、歌だから。経をとなえる代わりに歌った。歌にして伝えれば仏もすらりと出てくるし。
「仏は常にいませども、うつつならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、仄かに夢に見え給ふ」もよく知られているらしい。後日知ったのだが芥川龍之介が四行中三行までも本歌取りしたのが「人の音せぬ暁に、仄かに夢に見えた給ふ、仏のみかは君もまた、うつつならぬぞあわれなる」という。また石牟礼著「あやとりの記」にある「十方無量 百千万億 世々累劫 深甚微妙 無明闇中 流々草花 遠離一輪 莫明無明 未生億海」は石牟礼創作のお経である。