「まれまれ な(汝)きゃうが(拝)で なま(今)な(汝)きゃうが(拝)むば にゃいちごろ(何時頃)うが(拝)むかい」これは奄美の島唄である。私はそこに居ながら奄美の方言とは切り離されて暮らしていた。土の匂いのする方言に代わって、学校はもとより家でも標準語を使っていた。そのあと6年近く思春期を鹿児島市で暮らすが鹿児島弁の「ひでかしたが ほら、あらいよ~、あさくる」などを聞いて理解できても、自分で使うことはなかった。簡単な鹿児島弁を少し話す程度で終わった。
そのあと主に京都弁たまに大阪弁に囲まれながら7年ほど過ごした。短期間でしかも学生という身分には京都弁や大阪弁が身につくことは不可能だ。そして東京に流れ着いてかれこれ45年になる。関東に来てからは方言を意識することが少なくなった。「停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」こともなかった。才能がない私は方言というものからいつでも遠いところにいた。(愛用の鉄棒)
故郷とは何だろう。その土地とその土地につながる方言の、つまり「自然」と「言葉」の両者が「心のよりどころ」となるのが故郷ではないか。つい感傷的に なってしまうのが悪い癖なのだが、私には身についた方言と言えるものがない。しかし土着へのあこがれが消えることはない。だが人生をやり直すことはできない。想像するにいわゆる転勤族の家庭で育つ人の中には、私と同じ思いをもつ人は多いのではないか。
地方から都市への集中に私が加担して45年が過ぎ、退職してようやく身の周りの自然に目を向けることができるようになった。そしてこの都市を私の第二の故郷だと思い始めている。しかしその都市は現在でも宅地開発が進み緑が減少しつつある。また方言を排斥することは弊害が多いことは広く認識されるようになった。方言にあこがれる私は方言の中でも特に京都弁と大阪弁には、これからも元気であって欲しいと願う。