単行本「漱石の孫」は、NHKテレビ2002年放送の「ロンドン100年ぶりに祖父の街へ」の収録のことから書き起こされている。それは漫画コラムニストを本業とする夏目房之介52歳の時のことである。房之介の父の純一は漱石の長男である。若い頃から欧州に遊学し、漱石の英国嫌いとは対照的に終生その地を懐かしみ「戦争がなければ日本には帰らなかった」とよく言っていた。バイオリニストであった純一は1999年に91歳で没している。
この本に1950年生まれの房之介が幼い頃に姉と祖母の三人で池上の祖母の家で撮った写真がある。鏡子夫人はふくよかで穏やかな笑顔で写っている。その祖母は1963年に85歳で没した。「祖母は感情の器の大きい女性だったと思う。漱石のように<感情の底を掘り崩してしまう>ようなタイプにはこのくらい感情の大きな女性が必要だったかもしれない」と書く。そして祖母が三橋美智也を好んで聞いていたことなどを回想している。(白丁花、ガマズミ)
祖父漱石の個人主義は倫理的な社会思想としての側面をもっていた。世の中の仕組みとして公共化されることを前提にした理念と言える。父純一の個人主義はそれよりはるかに個人で完結する色彩の強いものだったと思う。「利己主義は自分のことしか考えないが、個人主義は他人も同じ個人であることをつねに考え尊重する」と言い、個人の自然なありように近い思想で、そこには国家との身のけずるような緊張感はない。(センダン、ヤマボウシ、イボタノキ)
僕の時代のその人らしさのイメージは他者の視線にさらされたその人の表面の乱反射でつくられるものである。自己視線に反射して見える自分は内面の自己のイメージとなるけれど、後者だけが「真実」で他が「虚偽」である根拠はじつはない。かんたんにいえば漱石の時代には自我の近代的枠組みの「建設」が必要だったが、それがむしろ邪魔なカッコになったのが僕の時代だと書く。あるページに新宿御苑の大温室で雪を眺めつつ色鮮やかな熱帯の花や巨大なシダに囲まれて熱いコーヒーを飲んだ。このときの、いわくいいがたい「うれしさ」は今でも覚えていると書いている。