玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*言葉

2014年05月18日 | 捨て猫の独り言

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 梅の木の中でキジバトの雛が孵った。14日(水)の朝の8時ごろに泣き声が聞こえると幼い子に教えられた。親の羽根の中にすっぽりかくまわれて、まだその姿を見ていない。順当ならば二羽のはずだ。見守り続けていた側に安堵の気持ちがひろがる。この日は、その出来事のあと羽田空港の国際線駐車場をめざしてドライブに出かけた。視力、聴力がままならない私はこれまで通り地図を片手に助手席に座る。首都高速を避けて井の頭通り、環七の一般道を利用する。42キロを2時間10分かかった。孫娘の日本到着は深夜の便になる。その出迎えの下検分である。

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 津田塾大学の公開講座「総合」の15日(木)の講演者は谷川俊太郎氏だった。いつもより一般人の参加者が多い。今回の講演は壇上で谷川氏を9人の在学生が囲んでの座談会方式だった。82歳の谷川氏はTシャツにGパン姿で、若い女性に囲まれて気分が若やいでいるようだ。まず谷川氏の詩の朗読があり、朗読された詩をめぐって学生から発言がある。「春に」「二十億光年の孤独」「朝のリレー」「信じる」の4つの詩が取り上げられた。私はマイクを通した音は特に聞き取りにくい状態にある。「一人っ子」「三人目の奥さん」などと断片的に聞こえてきた。

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 学生から「表現は自分を他人のまえに晒すことだから、恥ずかしいということはないですか」という質問が出た。それに対して「言葉というのは自分だけのものではない。みんなの共有物である。自己表現というよりも、好きな言葉を自分で選びとってくるのだと考えている」と答えていた。私は江田浩司著「60歳からの楽しい短歌入門」という本を手にしているところだった。その中にも「短歌を作ることの第一歩は、対象をよく観察することです。短歌作品にするためには、その対象を表現するための適切な言葉を見つけねばなりません。この言葉を見つけることが、実は最も困難な作業なのです」とあった。

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 言葉ということについて最近印象に残っているのがほかにもある。「人が頭の中でものを考えるときには言葉が必要です。囲碁の手を考えるときにはやはり囲碁の言葉を自然と使うようになります。用語を正しく使うことは、その着手の意味を正しく理解することにつながります」これは棋士の井山祐太だ。「マイブーム」で流行語大賞を受賞し「ゆるキャラ」「見仏記」「親孝行プレイ」などの造語力の光る、みうらじゅん(56歳)は「 言葉は便利だけれど、だまされてもいる。親孝行しなきゃと思うけどなんだか恥ずかしい。でも語尾にプレイをつけちゃえば楽しくもなる。自分を洗脳してしまうわけです」と語る。

コメント
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