大学入試はどうあるべきかという話題になり、入試の必修科目として「次の一手を答えよ」という「詰め碁問題」が出題されるようになれば日本全国の受験生は必死に「詰め碁問題集」を解くようになるだろうと本気とも冗談ともつかない話になったことがある。ところが、それに近いようなことが現実に起きていた。東京大学の教養学部では単位の取れる囲碁の授業が2005年の10月に始まったというのである。その授業担当者は平易で明快な解説でアマチュアに定評のあるプロ棋士の石倉昇(のぼる)九段だ。昨年からは早稲田大学、慶応大学でもカリキュラムに囲碁が取り入れられているという。
石倉九段は1954年生まれで、東大から日本興業銀行に入ったが、銀行を止めてプロ棋士に挑戦する。周囲の反対の中で父親だけは「好きな道でやってみろ」と見守ってくれた。プロ棋士となった石倉九段には対局のほかにもう一つの目標があった。それは囲碁を多くの人に広めるということ。1984年から渋谷のカルチャースクールで囲碁教室を担当し、以来「ラクに囲碁が強くなる方法」を考え、実践して28年目だ。70歳で囲碁を覚えて80歳でアマ3段になった女性もいれば、87歳から初めて99歳で3級になった男性もいるという。
「琴棋書画」という言葉がある。現代の言葉に置き換えると「音楽・囲碁・書道・絵画」。これが、古くから君子のたしなみと考えられていたらしい。このうち、囲碁だけが学校の科目にない。東大の授業に囲碁が組み込まれたのは画期的なことだ。東大の初回のガイダンス(説明会)には100人以上が集まった。作文を書いてもらい、入門者であることと、囲碁への熱意を基準に定員の40人に絞った。試行錯誤の末、全くの入門者でも19路盤で最後まで打てるシステムをつくったという。石倉九段は2008年に東大の客員教授に就任した。
もう一人の異色の棋士は1973年生まれの坂井秀至(ひでゆき)八段である。昨年の8月「碁聖戦5番勝負」の最終局で現役最強といわれる張棋聖に勝利した。大学卒業後にプロ入りした棋士として、初のタイトル挑戦者にして初の七大タイトル獲得者となった。関西棋院所属の棋士としては29年ぶりのタイトル獲得である。開業医の長男で、後を継ぐつもりで京大医学部に進み、医師免許を取得した。一方で、在学中に世界アマ囲碁選手権を制するなどしている。「血が沸き立つような勝負をしたい」との気持ちを抑えきれなくなり、研修医勤務を目前に転身を決意し28歳でプロ入りした。2007年に6才下の医師と結婚し1歳の長男がいる。