玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

自由民権運動

2005年04月17日 | 捨て猫の独り言
中林茂夫氏は私立の一貫校で日本史担当の教師であった。私はこの愛すべきボスのもとでコーちゃんと呼ばれながらともに担任をやらせてもらった。ロッキード疑獄事件でコーチャン証言がマスコミに取り上げられていた頃である。振り返ると充実していて、活気に満ち、濃厚な日々であった。氏が定年退職を迎える前1992年に病死された後、公立の教職の共働きの奥様が、中林茂夫著として【「自由」と歴史教育】を編集出版された。この中に「生徒と学ぶ自由民権運動」という実践報告がある。氏とともに過ごしたあの特別な時期の秘密を見る思いがする。僭越ながら奥様もお気付きなかった彼と私の人生の高揚期のようなものを発見した気がしている。

「1981年自由民権100年全国集会の年、夏の合宿を秩父で行い、秋の文化祭で秩父事件について発表しようということになった。夏休みになるとすぐに、三泊四日で秩父に出かけた。その間に川遊びもしたし、民宿の郷土料理もうまかったし、生徒たちは満足して帰ってきた。そして、夏休み中の仕事の分担を決めた。ここでも事実の確認を主たる目標にした。」

彼はこの本の別なところで次のように書いている。「歴史教育において、歴史の法則をわかりやすく的確に伝えることは、必要なことであるが、それだけでは不十分だということである。法則性は本人が主体的に捉えようとしたとき、初めて認識たりうるからである。法則性の認識の出発点は、事実の発見あるいは確認である。中等教育という段階で必要なことは、自らの力で事実を知るという体験をもつことである。それが、生涯にわたっての認識の深化の起点となる」日常的には「クドクド理屈を並べるとこうなる」と言いつつ、ときおり生徒にも精一杯の言葉を投げかけようとしていた。

「テーマの分担は以下の通り。(1)秩父事件の経過を、5万分の1地形図に10日分の色分けにして書き込む(2)村別・職業別参加人数の調査(3)椋神社(蜂起の日、民衆が集まった場所)周辺の今と昔(4)秩父の民族・文化を調べる。これらは中学生には、少々荷が重い。彼らの頑張りをささえたのは、第一には現場の迫力を実感してきたことである。第二には秩父で独自に発達した文化の豊かさに、深く感動したことであった。第三には、いくつかの秩父事件についてのどの本にも出ていないことを知って、幼い野心を抱いたからである。」

この第一に、第二に・・・が口癖であったことを思い出す。どえらい夫婦がいたもので、奥様も立派である。「夫の友人たち(私ではない)が遺稿集を編もうと言ってくださったが、ご好意を固辞した。夫の論文を読み直し、生きた跡を自分の手で辿り直すことによってしか、私の再生の鍵は見つからないように思えたからである。これを編むことで近代史を辿ることができたのは、門外漢の私にとって得難い経験であった。」

今年から週に2時間の「総合の時間」を担当する。おおいに戸惑っているところだ。生徒とともに物事の本質を根底的に捉えようとしていた社会科の中林氏ならば、そんな私に何と言うだろうか。


コメント
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