自分で言うのもなんだが、私には記憶する能力がまるでない。まえまえから、気づいてはいた。
たとえば、40年前、高校時代に、一緒に下宿していた友人が、夕食にはいつも春雨をまぶした、おかずが出て、隣は内科の個人病院で、窓越しに住み込みの看護婦さんをからかっていた事などを、最近語ってくれた。それでも私の記憶装置は、白紙の状態で生活のほとんどが記録されていない。消極的生活態度だけでは片付けられない記憶力のなさである。世の中には、記憶力のよい人がいるものだと、時々に思う。
たしか、バブルの絶頂の頃だった。
駅前の商店街の盆踊りのど自慢大会に、飛び入りで参加した。酒は、入ってなかった。小学生だった2人の子供のうちのどちらかを連れていた。
すさんだ大学生時代の生活のなかでの愛唱歌、アカシアの雨がやむとき、を堅気になった現在の自分をいとおしみながら、やぐらの上で思い入れたっぷりに歌った。
夏の風がここちよかった。
そのとき、2位に入り、バレーボールの賞品を頂いた。1位の人の曲目は記憶にない。
たとえば、40年前、高校時代に、一緒に下宿していた友人が、夕食にはいつも春雨をまぶした、おかずが出て、隣は内科の個人病院で、窓越しに住み込みの看護婦さんをからかっていた事などを、最近語ってくれた。それでも私の記憶装置は、白紙の状態で生活のほとんどが記録されていない。消極的生活態度だけでは片付けられない記憶力のなさである。世の中には、記憶力のよい人がいるものだと、時々に思う。
たしか、バブルの絶頂の頃だった。
駅前の商店街の盆踊りのど自慢大会に、飛び入りで参加した。酒は、入ってなかった。小学生だった2人の子供のうちのどちらかを連れていた。
すさんだ大学生時代の生活のなかでの愛唱歌、アカシアの雨がやむとき、を堅気になった現在の自分をいとおしみながら、やぐらの上で思い入れたっぷりに歌った。
夏の風がここちよかった。
そのとき、2位に入り、バレーボールの賞品を頂いた。1位の人の曲目は記憶にない。