還り着くべき故郷への想い
“我らは甦る 地球の土に”
竹宮惠子『地球へ…』より
…相変わらず記憶だけで書いていますが、
記憶がぐいぐい甦ってきているのもまた事実。
21世紀アニメ版『地球へ…』は昨日が最終回でした。
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公式サイト
30分じゃ短かったなあ。1時間は欲しかったなあ。
ものすごく濃密な話が、駆け足で過ぎていってしまって。
でも、原作全編を2時間程度(?)で描いた映画版よりは
丁寧だったんだろうと思います。
それでも「もっと見ていたかった」というのが正直なところ。
予想以上に原作を踏襲した最終回でした。
大きく違ったのは、トォニィが留まったこと。
原作で一番よくわからなかったのが、
トォニィをはじめとするナスカの子どもたちが、
人類もミュウも自分の肉体も捨てて、宇宙の果てへ去ることだったのですが。
トォニィが、「グランパがいなきゃイヤだ」と号泣する場面では、
涙が止まりませんでした。
忘れていましたが、見た目は大人だけど中身は少年なんですよね。
(ジョミーは、見た目が少年で中身は大人)(ミュウはややこしいんです)
この子にとってジョミーは、自分の存在のすべてだったわけで。
彼がジョミーの願いを受け入れ、ソルジャーとして留まったことで、
「崩壊の後の再生」に説得力が出たかな、と思います。
トォニィだけではなく、すべての人々に見せ場があったのもよかったと思います。
ブラウは最後までかっこよかったし、
シドもリオも、それこそマードック大佐にまで!
彼がキースのことを「あのバカ」と呼ぶのが、何だか大人な感じでした。
そのキースはと言えば、
「これでサムやマツカに顔向けができる」とか
「最期まで私は一人か」とか
最後の最後で印象的なセリフが多かったですね。
人類側のリーダーであるキースと、ミュウの長ジョミーの、
指導者であることの深い孤独と互いへの理解も、よかったと思います。
組織と個人は、どちらが優先されるべきか。
私は、人の想いは組織を超えて人をつなぐのだと思いました。
ただ、「こんな星、どうだっていい!」と泣いたトォニィが、
その個人の想いを封じて地球を救ったことに象徴されるように、
自己中心的な想いだけでも、またダメなのだと思います。
エンディングがきれいでしたね。
ケミストリーの歌とダイジェストの映像に余韻を感じましたし、
最後の、何千年後か何万年後かはわかりませんが、
メギドが突き刺さったまま再生した地球の海と空と緑は、本当に美しかった。
あの地に眠ったジョミーやキースや人々の想いが、
地球を再び甦らせたのかもしれません。
少なくとも、これもまた幻だった、とは思いたくないのです。