高校時代の恩師が亡くなったと、
今朝の新聞で知りました。
書道部の指導に当たられていた先生です。
そのときからすでにご年輩でしたが、
いつも親身になって指導してくださいました。
「習字」しか知らなかった私に
「書道」を教えてくださったのは先生でした。
毎年、夏休みは、1週間ほど先生の家に通い、
離れで数時間、半切という大きな紙に書をしたためました。
市内でも歴史の古い街並み、遠く聞こえる海鳴りや霧笛。
墨の匂いや紙の手触りとそれらは、
高校時代の思い出と共にあります。
先生のご指導のおかげで、
私の作品は全国大会にも出品されました。
しかし卒業後、お伺いしたのは一度だけだったように思います。
「筋がいいから書道を続ければいいのに」とおっしゃっていたと
風の便りにお聞きしました。
いつかはご挨拶に伺おうと思いながら、先延ばしにしていました。
先生が個展を開いたなどのニュースを拝見し、
ご活躍を喜びながら、
実際に足を運ぶことはありませんでした。
先日、寺村輝夫さんの訃報に接したとき、
「今年こそは、先生にご挨拶に伺おう」
と、心に決めたばかりだったのでしたが…
萩尾望都さんの古いマンガに、こんな意味のセリフがあります。
「愛していたのなら どうしてママを迎えに来なかったの」
「ママが死んでからじゃないと 会いに来なかったじゃないの」
ごめんなさい。
なぜこんなにも長い間、私はお伺いしなかったのか。
こんなに泣いたお通夜は、久しぶりでした。
今朝の新聞で知りました。
書道部の指導に当たられていた先生です。
そのときからすでにご年輩でしたが、
いつも親身になって指導してくださいました。
「習字」しか知らなかった私に
「書道」を教えてくださったのは先生でした。
毎年、夏休みは、1週間ほど先生の家に通い、
離れで数時間、半切という大きな紙に書をしたためました。
市内でも歴史の古い街並み、遠く聞こえる海鳴りや霧笛。
墨の匂いや紙の手触りとそれらは、
高校時代の思い出と共にあります。
先生のご指導のおかげで、
私の作品は全国大会にも出品されました。
しかし卒業後、お伺いしたのは一度だけだったように思います。
「筋がいいから書道を続ければいいのに」とおっしゃっていたと
風の便りにお聞きしました。
いつかはご挨拶に伺おうと思いながら、先延ばしにしていました。
先生が個展を開いたなどのニュースを拝見し、
ご活躍を喜びながら、
実際に足を運ぶことはありませんでした。
先日、寺村輝夫さんの訃報に接したとき、
「今年こそは、先生にご挨拶に伺おう」
と、心に決めたばかりだったのでしたが…
萩尾望都さんの古いマンガに、こんな意味のセリフがあります。
「愛していたのなら どうしてママを迎えに来なかったの」
「ママが死んでからじゃないと 会いに来なかったじゃないの」
ごめんなさい。
なぜこんなにも長い間、私はお伺いしなかったのか。
こんなに泣いたお通夜は、久しぶりでした。