昨日、『結局、どうして面白いのか』の感想を書きましたが、
この本を読んでいる間、私が強く想起していたのは
実は『水曜どうでしょう』のことではなく、
『相棒8』のことでした。
ということで、これから結構独りよがりなことを書いていきますよ。
(と、予防線は張っておく・苦笑)
私は、『相棒』シリーズが昔から好きで、でもそれは
フツウに好き、というやつで、はまる、ではなかったんですね。
ところが、神戸尊くんの登場で、一気にはまりました。
なぜなら彼が、『相棒』の世界を「客観視」する人だったからです。
(以前にも書いたので、詳しくは
こちらをどうぞ)
「相棒 オフィシャルブック3」(買っちゃったv)でも、及川さんが
「僕は、視聴者の方たちが慣れてしまっていた右京さんの変人ぶりを、
初めて会う尊の目線で浮き彫りにしたいなと思ってました」
と話していましたが、これってまさに「メタな視点」ですよね。
『水曜どうでしょう』は二重構造である、というレポートを読みながら、
これって『相棒8』のことじゃん(正確には『7』の最終回も含みますが)
と思って、大興奮しておりました。
なんかほら、自分の嗜好を分析してもらった感じで(^^;
そっかー、私ってそういうのが好きだったのかー、みたいな。
(もちろん、7シーズンかけて世界が確立しているからこその『8』なんですけど)
ここからさらにうがった話を続けますと。
神戸くんは当初スパイとして登場するんですよね。
つまり、人物設定がすでに右京さんという「物語」を「見ている」人だったんです。
しかも、「世界を見る」「神の視点」を持つ任務を予定されていたことが
『8』の最終回で判明します。
ところが、彼はそれを拒否して特命係に残った、
つまり「物語」を「見る」のではなく「物語」を「生きる」ことにしたんですね。
(この最終回はもう、すべての伏線が回収されていくさまが本当に見事でした)
ということで、『相棒9』からは『8』の持っていた二重構造がなくなるんですけど、
そうすると私も「好きすぎる」から「フツウに好き」にまた落ち着いちゃうんですよね。
なんてわかりやすい(笑)
いや、そうすると、神戸くんが「神」で「尊」なのって、
実はものすごく意味深長だったんじゃないか、と思ってしまったり。
(制作側は、そんなことまで考えちゃいません、っておっしゃってますけどね・笑)
(ていうか、「命がけの行き当たりばったり」というフレーズ、結構好きですv)
(よい物語って、深読みさせる懐があるんですよ、きっと)
というわけで、『相棒11』も楽しく見ていますが、
たぶん『8』ほどはまらないだろうな、というのは、
カイトくんが最初から「物語」の中にいる人だからであって、
別に神戸くんに義理立てしているからじゃないと思うの(^^;
以上、『相棒』も好きなどうバカによる一考察でした。どっとはらい。