杉本さんから教えていただいた「一つ捨てて一つ持つ」という言葉を、卒中で後遺症を抱えた人にも、それほどでなくとも病気になった人にも話しました。
大切な人を亡くした人にも、可愛がっていた孫が独立して家を出たり、お嫁に行ったりした人にも話しました。
自分の体の都合やメンバーの都合で趣味から遠ざからなくてはいけなくなった人にも話しました。
不本意ながら引っ越しをしなくてはいけなくなった人にも。
定年で仕事が無くなり何をしていいかわからないと訴えた人にも。
「生きる」目標が感じられなくなった人たちといいかえればすべて当てはまります。
トチノキ
上にあげたようなことが、高齢者に起こったら、それはそのまま脳の老化を加速させる「キッカケ」になる場合がとても多いのです。
「キッカケ」になるということは、その後の生活は「ナイナイ尽くし」になるということになります。
生きがいを感じることもないし、趣味も楽しまない。交友もせず、運動もしない。
そしてその先に、嫌われ者の「認知症」が待っている!
このような出来事は、誰にでも起こりうるものだということがわかりますか?
なのに、このようなことに遭遇した高齢者全員がボケていくわけではない、ですよね。
向こう側はベニバナトキワマンサク
その出来事をどうとらえるか、が、十人十色ということになります。
その人その人の前頭葉が、その出来事をどのように受け止めどのように対処していくかを決めるのです。
生まれてきてその日を迎えるまでに、前頭葉がどのように物事をとらえ、どのよう対処してきてか、そしてそのことを他ならぬ自分の前頭葉がどのように評価しているか、それらが相まって、今日の自分の判断を決定していきます。
こうして考えていくと、確かに「三つ子の魂百まで」ということは正しいでしょう。
でも、元気をなくした方に会うと、「かくしゃく百歳の方が『一つ捨てて一つ取る』ということを教えてくださった、そういう生き方もあるんですよ」と言わずにはいられませんでした。
「あなたにとって一つ取るものは何ですか?何なら持てますか?絶対探してください。杉本さんのように」
もう一つのシーンでも使いました。
何かの出来事ををきっかけに脳の元気が無くなって、認知症の始まり(小ボケ状態)になったら、生活改善を始めなくてはいけません。それは具体的には散歩のほかには趣味に相当するようなことになりますが、その時にも言いました。
このような方たちは、元来趣味に相当するようなことはもともと持っていないことが多いのです。いわゆる仕事一筋のひとですね。
「趣味なんかしたこともない。それどころか!」と言われた時に
「とにかく、一つ挑戦。我慢してでも3ヶ月は続けてください。3ヶ月たってどうしても嫌だったら、次に始めるものを決めてから、止めましょう。一つ持ってから、一つ捨てる」この言葉も何度も何度も言いました。
杉本さんありがとうございます。
毎月、お宅にお邪魔して、楽しいお話を聞かせていただいたあの時間がこうして誰かの手助けになっているのです。