脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

かくしゃくヒント13ー 一つ捨てて、一つ持つ

2012年05月01日 | かくしゃくヒント

新規ブログで、続けて
「ナイナイ尽くしの単調な生活が始まるきっかけ」
「単調な生活が始まるキッカケの生活状況の事例」を解説しました。クリックして読んでみてください。

少し切り口を替えてみましょう。
2012_0421_114100p1000168













エイジングライフ研究所は
「ボケるかどうかは生き方の問題。
どのように自分らしく脳を使い続けるかがカギ。
三頭立ての馬車を上手に動かせ続けることが必須」と主張してきました。

これは、多くの方たちの脳機能と生活実態、そしてどのように生きてこられたかを聴き取っていった結果の結論です。

杉本良さんという印象深いかくしゃく老人の話を聞いてください。
20年以上も前のことになります。
お知り合いになった時、すでに100歳を超えていらっしゃいました。(多分1988年明治21年生まれくらいです)
一年間くらい、毎月一度通いました。
それまでに100歳を超えた方にお会いしたことがなかったものですから、ずいぶん緊張してご自宅に伺ったことを懐かしく思い出します。2012_0424_125600p1000178_2














掛川市に粟が岳という桜の名所がありますが、杉本さんのお宅はその粟が岳に面した高台にありました。
玄関の右が生活のための空間、左が書庫のようでした。その書庫の作りはとても頑丈丁寧に作られていて、むしろ粗末といってもいいほどの生活空間とのギャップに、まず一つの生き方を見た気がしました。
2012_0421_113800p1000165_2

 

 

 

 

 



杉本さんは、穏やかなユーモアいっぱいの好々爺になられていました。何時も頭巾をかぶっていらっしゃって「髪がないと寒いもんだよ」と笑って、私たち(先輩と二人で伺いました)が伺うことを楽しみにして待って下さっていました。

旧掛川中学第一期生ー東京第一高等学校ー東京帝大卒!

まさに明治期の社会の指導者たる道を期待されていたと思います。
そのころには「末は博士か大臣か」という言葉があったのです。
はっきりとうかがってはいないのですが、最終的には政治家の道を志していらっしゃったようです。末は大臣の道ですね。
ホウチャクソウ              2012_0421_154700p1000171

 

 

 

 

 



大学卒業後は朝鮮総督府から台湾総督府へと務められ、つまり公務員、お役人生活だったそうです。
そして終戦。
「公職追放」でその道が閉ざされてしまった・・・

そのように人生を語ってくださったときに、杉本さんが言われました。
「あのねぇ、人生っていろいろ捨てなくっちゃあいけない事が起きるものなんだよ」
「台湾時代に、煙草をやめることになってね、その時なんかは先に新しく趣味を見つけたものさ。台湾でないとできないと思ってラン栽培に凝った、凝った。
そうすると、煙草を忘れられるだろ」

ムベの花2012_0424_121400p1000177

 

 

 

 

 





「こうやって、何かを捨てなくてはいけないときには、何かをつかむような生き方が大事だよ。一つ捨てて、一つ持つ」
禁煙とラン栽培。
戦後、仕事が断たれた時にもこの精神で乗り越えられました。
「『正法眼蔵』の研究を始めたんだよ。
それから僕のうちはお茶農家だからお茶作りを始めたさ。
禅とお茶とくれば茶道だろ。峠の向こうに洞善院というお寺があって、毎月月釜をかけて、その後に『正法眼蔵』の勉強会を88回やったんだ。お茶道具を背負って峠を越えて歩いて行ったんだよ」

「人生っておもしろいね。そこでずいぶんと足腰が鍛えられたから、月釜をやめたら、もったいなくて粟が岳の一日参りをはじめてね。まあこの年になったらそれも無理だけども、こうして粟が岳を部屋から眺めても、毎月登った山と登らなかった山とでは見え方が違うよね。いやぁ、いいことをしてきたもんだ」
2012_0425_134800p1000208













今回、あまりにも記憶があいまいだったので「杉本良」でネット検索してみました。
朝鮮総督府時代にも台湾総督府時代にも立派な著作物があってびっくりしました。全くそのような面は出されませんでしたから。
ただ、書庫があまりにも立派だったことの理由がいまさらながらよくわかりました。

奥様は、私の学校の大先輩でその縁をとても喜んでくださいました。
毎月伺いながら、ついでに水墨画を教えていただきました。
水墨画をを始めた理由はこう言われました。
杉本園枝さん91歳の作品
2012_0501_185200p1000266_2
 

 

 

 

 

 





「思いがけずこんな田舎にひっこむことになりましたけれども、山野草の宝庫なんですよ、ここは。洞善院のお茶会の時、茶花に全く困りませんでしたからね。
孫たちに手紙に添えてちょっとお花を書いてやろうと思って、掛川市の水墨画教室を見つけて始めたんですけどもう何十年も前のこと。
折角だから、着物や帯にも描きましたよ」

外見もお話しぶりも大和撫子そのもののような方でしたが、柔軟な生き方ですね!そして積極果敢。
そしてホラ、一つ捨てても一つ持っていらっしゃるでしょ。

 

 

 

 

 

 

 


ブログ村

http://health.blogmura.com/bokeboshi/ranking_out.html