家の建て替え-引き渡し後もなおトラブル、その後
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を書いたのが昨年11月10日。
その後については、
あけましておめでとうございます(2019年)・年の初めのバロック音楽
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/0df1891cd8c110c99bf25155c5a2d39a
にちらりと書いたものの、こちらの記事が、「家の建て替え」のカテゴリ―ではないため、カテゴリ―のみを見ている方には心配してくださっている方がいらっしゃるかもしれません。
改めて報告をすると、今は家の片づけもほぼ終わり、友人達にも遊びにきてもらったりするようになっています。(ただ、外構業者さんのスケジュールの関係で、一部残っている工事があり)。
今年3月には、イタリアの友人、クラウディアさんも再来日。もうすでにホテルを取ってしまっているので宿泊はしてもらえませんが、家を見に来てくださることに。
実は彼女も昨年、ご両親から旧市街にある古い家の改築で大変な苦労があって、今度会うときは、その苦労話でもりあがりそうです。
(ま、彼女が一番苦労をしたのは、お役所との折衝。旧市街に建つ家の改築ということで、外階段一つ付けるにも役所の許可が必要で、これがなかなか下りなかったり、と。)
さて、我が家の方ですが、トラブル続きで心身共に消耗していた私は完成間際まで、「新しい家を自分が前の家の様に好きになれるかだろうか」という不安を抱えておりました。
トラブル以外でも、家を建てる大工さんの問題。
前の家を建てた時の大工さんは30代半ば。決して饒舌な方ではなかったのですが、話していると、大工仕事が好きで、建てている家一つ一つを愛おしく思っていることがわかりました。
話ながら、建てている家を見渡す彼の目つき、いつ行っても綺麗な現場から。
それに対して、今回の大工さん(時々息子さんが手伝い)は、60代後半のベテラン。
「俺に任せておけば心配はない」と豪語する割には、上棟時に酒を撒くとき、通し柱の位置を勘違いするし、取り付け方向を間違えたことも。
隙間が気になって質問をすると、「プレカットの木材だから、俺のせいではない。」
現場の材木をペットボトルで濡らす、飴の袋を床に捨てる、現場の柱にフックにする釘を何か所も打ちまくるのはもちろん、スリッパラックのみならず、ボルトまで使って大きな棚まで取りつける、台風の前日でも窓を閉め忘れ、現場監督が夜遅く閉めに来てくれたりもあったりと。
ちょうど建築時期が真夏になってしまって、大変であるのは確かなのですが、口を開けば、「疲れた」そしてたまに「金がない」。
オマケの、現場に仕事仲間とはいえ、工事と関係のない友人を呼んで甘い飲み物を飲んだり。
玄関前に灰皿、倒れたタバコの吸い殻入りペットボトルも良く放置。
(ちなみに、F林業は建物内での喫煙、飲食は禁止です。飲み物や昼食に関しては、我が家は条件付きで許可していましたが、「甘い飲み物」やお菓子は断っていました。流石にタバコは室内で吸ってはいなかったと思います。
窓開けっ放し、ペットボトルなどで材木や床を濡らすこと、玄関前の汚さは現場監督のAさんが注意をしたり工夫をしてくれても最後の方まで改善されず。柱にボルトで棚は「二度と柱にボルトで棚を作らないでほしい」と強く申し入れ。)
とてもじゃないけど、家作り、現場を愛しているようには思えないのはもちろん、モラルの点で、彼がバカにしていた「建売業者の大工さん」以下にも思えたりしました。
職人さんについては彼だけではなく、F林業の下請け職人さんのうち、私が診ていた限り、最初の基礎を作った基礎職人さん親子、三番目の基礎職人のHさん以外、仕事と現場を心から愛しているように思える職人さんがおらず(外壁屋さん、防水シート屋さん、内装工事屋さん、左官屋さんは「愛」まではなくとも職人さんとしてのプライドと仕事のバランスは良かったと思います。)。
こうした人達に建てられた家というだけでも(家には罪がないですが)憂鬱になっていたのです。
結果的に約10ケ月滞在になった借り住まいのアパートが居心地がよかった上、借り住まい先から新居に戻る為にお気に入りの家具たちをまた処分(家の建て壊しの際にも家具は処分していますが、食器棚、テーブルセット、箪笥一竿は新居に移るときに処分することを決めていました。)しなければならない、ということもあり、借り住まいの生活が名残おしかったというのも、この憂鬱感に拍車をかけてはいましたが。
そして引越しは11月下旬。
新居に引っ越したあとも、縦樋の追加工事、それに一度下地を作った玄関ポーチの取り壊し、下水道管、雨水管、ガス菅の一部やり直し工事、そしてストップさせていた外構工事再開などがあり、煩わしくはあったのですが、ただ、この下水道管、雨水管、ガス菅やり直し工事で一回目の転機がおこりました。
この工事では、あれほどいい加減に見えた水道業者の現場監督から、ガス業者の上役、水道工事とガス工事の作業者、F林業の現場監督、皆さん朝から晩まで、ほとんど休みなく、お互いが助け合い、何かあるとみんなで意見を言い合い、工事を遂行。その後も慎重を重ねるチェック。
このやり直し工事をさせるまでの間、私がF林業に対し強固な態度で臨んだ結果(やり直しをしなければ、低額裁判(損害額が60万円以下の簡易裁判)、それ以上の損害になれば、普通の裁判も辞さないことを伝えました。ちょうど同時期、工事中に浅いガス菅を爆発させた事故もあったことも後押し(?))、業者さんたちがF林業からの仕事がこなくなることを恐れた結果であったのか、それとも現場を改めてみて、自分達がした仕事の酷さを反省した結果なのかはわかりませんが、この時ばかりは、彼らは本来あるべきプロらしい仕事をしてくれました。
この後、すぐ外構業者さんから派遣されてきたのがM親子。
外構工事を始めたのが、引き渡し後すぐで、そのときの職人さんは40代のIさんという、40代の職人さん。
彼の仕事ぶりはもちろん、人柄も大変好感を持てる方で、彼が途中まで作ってくれた玄関ポーチを壊すことになったことをたいへん申し訳なく思っていたので彼にまた仕事再開をしてほしかったものの、彼と現場監督のスケジュールに合わせると工事が年を超えてしまう―そんな理由もあって、職人さんがチェンジ。
このMさん親子とて、年も押し迫って仕事は立て込んでいたのに、無理をしていれてくださったよう。(外構業者の現場監督Eさんが我が家の今までのことを話して、Mさん親子のご厚意で引き受けてくださったと思います。)
このMさん親子のお父様の方は、相当のベテランでしたが、「頑固な職人」のイメージとは別に、大変穏やかで謙虚。お父様とタイプは違うものの、やはりその性格を受け継いだ息子さんと一緒に、Iさん同様丁寧な仕事をしてくださいました。
彼ら親子がお仕事に来ていただいている間は私にとって癒しの時間でもあり、お仕事を邪魔するおしゃべりをし過ぎて反省することも。
我が家は、私がほとんど図面を考え、インテリアやエクステリアも私が主導して決めたもの。
まず、大変な思いをしても、流石にこの家を嫌いになることはありませんでした。
小さいけど、居心地と住み心地は予想以上。
(実は家づくりに関心がなかった息子が一番気に入ってくれているかも。)
しかし、わだかまりがほとんどなくなったのは、それはおそらく排水管等の工事、外構工事を通してだったのだと思います。
ところで、このMさんのお父様、おしゃべりしている途中、私が発した質問に「・・・だって、自分の家にそんな工事されていたら嫌でしょう。」とおっしゃったことがありました。
(忘れていましたが、これと同じ言葉を、私がシルバー人材センターの職人のマネジメントをしていたときに、一人の大工さんが同じことを言っていました。彼の仕事では一度も苦情を受けたことがなく、逆に「○○大工さんとお茶を飲みにくてきてください」とお誘いを受けることもあるくらい、顧客の満足度は高かったです。)
これは、私が先に書いた、「自分の仕事を愛し、現場にも愛情をを注ぐ」ということと同じ意味で、つまり「他者感覚」を持っているということ。
「良い職人がいなくなった」理由として、まず挙げられるのが、「下請けで安く叩かれるからいい加減な仕事しかしなくなった」「職人のサラリーマン化」ということですが、それ以前に今は、「他者感覚を持った人が少なくなった結果」も大きいのではないか、そんな気がしました。
追記:
なお、外構工事の最後のポーチタイル貼リは、別の職人さん。正直に言えば、このタイル職人さんのベテラン枠とはまだ言えず、センスは今一つ。しかし、「自分は仕事が遅くて・・・」といいながら、仕事収めである12月29日の朝早くからも仕事。
ついでに相談したタイルの割り付けも、嫌な顔もせず気持ちよく直してくださいました。