「(秋田)県南小旅行記(その6)」のつづきは、いよいよ西馬音内盆踊りの観覧です。
予定どおり20:00ちょい過ぎに、再び西馬音内川を渡って、盆踊り会場へ。
2時間前と打って変わって、一気にお祭りモードです。
会場に入り、そのまま簡易指定席の「仕切台」に着くのかと思いきや、友人が案内してくれたのは、盆踊りの本部とお囃子用の櫓が置かれた盆踊り会館の2階でした。
階段の登り口には「関係者以外立入禁止」の立て札があって、足が止まったものの、友人は「いいから、いいから」とズンズン先に進みます。
ここで遅れをとっては、単なる不審者になってしまいますので、慌てて友人の後を追って階段を昇りました
そして行き着いた先は、なんと、お囃子の櫓
お囃子は、「笛、大太鼓、小太鼓、三味線、鼓、鉦」の囃子方と、地口(音頭)や甚句(がんけ)の歌い手と、結構な編成で、しかも人数が多い。
盆踊りは、19:00のよせ太鼓に始まり、8月16・17日は23:00まで、最終日の18日は23:30まで、ほぼ休み無しで延々と続きますので、体力が持つのか心配になりますが、バンドメンバーはとっかえひっかえ交替して演奏を続けるのだとか。
一方、踊り手の方はといえば、踊りたいときに踊り、疲れたら踊りの輪から離れて休憩をとり、もういいや、となれば帰ってしまうとな。
但し、子どもや初心者は早い時間、踊りに自信がある人は遅い時間に踊るという「しきたり」があるのだとか。
西馬音内盆踊りといえば、「端縫い衣装+編み笠」か、「藍染め浴衣+ひこさ頭巾」を身にまとった(妙齢の?)女性たちが優雅に踊る、というイメージなんですが、子どもたちも踊っているし(子どもたちは編み笠orひこさ頭巾無しで普通の浴衣+豆絞りのハチマキ)、
男性も混じっているし(帯が違う)、お年を召された方(手は歳を隠せない)も踊っていて、そこは伝統と格式があるとはいっても「地域の盆踊り」なのだと思い至りました。
ところでこの「西馬音内盆踊り」、盆踊り会館で購入したリーフレットによると、
約700年前ともいわれる西馬音内盆踊りの起源については諸説ありますが、およそ1300年頃に源親という修行僧が蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)を勧請し、ここの境内で豊年祈願として踊らせたという説があります。その後、慶長6年(1601)西馬音内城主小野寺茂道一族が滅び、主君を偲んだ慰霊のための踊りが合流されたものだと云われています。踊る場所は天明年間(1781~1789)に現在の本町通りに移り現在まで継承されてきたと伝えられています。
と、相当な歴史を誇っています。
とりわけ、200年以上にわたって、昭和20年(終戦直後)を除き、毎年同じ場所で開催され続けているというのが凄い。
私が行った8月18日は、満月の翌日で、
月明かりがあったものの、会場はほの暗くて、
かつ、踊りには当然動きがあるので、ストロボ無しでは写真撮影が難しい…
かといって、ストロボを使うと、
着物はキレイに見える一方、西馬音内盆踊りの雰囲気が残らない…
ところで、西馬音内盆踊りの踊りとお囃子には、前記のように地口(音頭)と甚句(がんけ)の2種類あります。
まず、「音頭」は、
手の振り、足さばきとも静かで優雅な動きをします。手指を大きくそらすことがアクセントとなっています。
というもので、上に載せた写真が、まさに「音頭」の振りです。
そして、音頭のときに歌われる歌詞が「地口」で、
七八九、七八九の6句からなる囃子言葉で踊りを盛り上げる重要な役割があります。
優美で神秘的な踊りに対し、秋田弁でおもしろおかしい歌詞は最初は違和感をおぼえますが、このバランスこそが西馬音内盆踊りの魅力の一つだとわかります。
昭和6年に当時の西馬音内酒造が懸賞募集で応募された歌詞が多く歌われています。
だそうです。
「秋田弁でおもしろおかしい歌詞は最初は違和感をおぼえますが」とありますが、秋田弁がわからないと、違和感もわかないかもしれません。
地口には多くのネタがあって(こちらをご参照方)、歌い手が気分のままに選択して順不同に歌っておりました。その内容には、かなり尾籠なものとか下ネタもありまして、歌詞を聞き取った観客がクスクスス笑いする場面が何度もありました。
「国の重要無形民俗文化財」という箔や優雅な踊りには似つかない、標準語に訳してブログにアップするのが憚れる 凄いのがあって、確かにこのアンバランスさも西馬音内盆踊りの魅力の一つなのだと実感いたしました。
音頭の「節」は、秋田音頭の「Aメロ?」とほぼ一緒で、ただ、「キタカサッサ」のあとに「ひゅ~ひゅ」という冷やかしのような囃子詞(はやしことば)が入る。
歌詞の面白さと、この「ひゅ~ひゅ」が、私のツボに入りました
この日の夕方、準備中の盆踊り会場を通ったとき、かがり火セットの傍らに(下の写真ではよく見えませんが、薪とかがり火フレームの先)、砂が積まれているのに気づきました。
火消し用かと思って友人に聞くと、
何だべな。わがらね
その答えは、本番最初の「音頭」が終わり、この夜唯一のインターバルの際に明らかになりました。
路上に、その砂が撒かれて、薄く広げられます。
何事かとおもったところ、この「砂撒き」は、もう一つの踊り「がんけ」に向けた準備でした。
「がんけ」は、「亡者踊り」の側面を持っていることから、甚句の歌詞や節回しには哀調が漂います。踊りは音頭に比べてテンポが速く、回転する動きが入ります。
名前の由来には、飛ぶ雁の姿を踊りから連想した「雁形」、仏教からきた「勧化」、現世の悲運を悼み、来世の幸運を願う「願生化生の踊り」が詰まったーなどがあります。
とな。
この「回転する動き」を助けるための「潤滑剤」が砂だったというわけです。
凍結した道路での滑り止めに砂を使ったりしますが、滑りやすくするために砂を使うとは、「音頭=おもしろおかしい歌詞+静かで優雅な踊り、がんけ=哀調が漂う歌詞と節回し+テンポが速い踊り」と共に、ますますもって西馬音内の盆踊りったら面白い
宴(盆踊り)もたけなわではありますが、ここで一息入れて、お出かけしてきます
つづき:2016/09/05 (秋田)県南小旅行記(その8)