郵便ポストを除くと、薄墨で書かれた(印刷された)ハガキを見つけることが増えています。きょうも1通届いていました。もちろん、「喪中欠礼」のハガキです。
ちょいと不謹慎ながら、季節を感じます
そういえば、何年か前、年賀状の受付が始まって数日経ったタイミングで、ある知人(当然か…)から「喪中欠礼」のハガキを受け取りました。私は既に年賀状を投函した後でしたから、急な話なのだろう
と思ってハガキを見ると、、、、もう半年も前に親族が亡くなっていた由。
ちょっとこれは「いかがなものか」と思いました。
毎年、凝った年賀状をつくることを趣味にしている私としては、この季節になると機会をとらえてアイデアをひねっています。
ちなみに今年の年賀状はこのブログでもご紹介いたしました(こちら)ようなものでして、「寅年⇒トラロープで文字を書く」というアイデアから始まりました。
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先月半ば、埼玉県立近代美術館(MOMAS)に「アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語」(記事はこちら)を観に行った帰り、ちょっと寄り道して年賀状のネタ探しをしてきました。
ちょっとその前に、北浦和駅東口近くで見かけた駐輪場の写真を…。
いかにも昔はキャバレーとして使われていた建物っぽいのですが、真偽はいかに
さて、私が出かけた先はこちら。
「つきのみや」こと、「調(つき)神社」です。
場所はこちら。
旧中山道に面しているこの調神社、かなり変わった神社です。
まず、鳥居がありません。写真では柱が二本見えていて、鳥居の土台っぽいのですが、ホントに石柱が2本立っているだけです。
そして、獅子&狛犬の代わりに参拝者を出迎えてくれるのはウサギの親子2組。(どちらも吽形?)
この他にも、境内にはウサギ絡みのものがワンサカあります。
この不思議な神社について、上にリンクを貼った「さいたま観光コンベンションビューロー」のサイトではこのように説明しています。
「調宮縁起」によると、今からおよそ2000年前の第10代崇神天皇の勅命により創建。伊勢神宮へ納める貢(調)物(みつぎもの)の初穂を納めた倉庫群の中に造営されたため、貢物搬出入の妨げになる鳥居が無いと伝えられています。確かな文献では、平安時代中期の延喜5年(905)に醍醐天皇が編纂を命じた法典である「延喜式神名帳」に、武藏國四十四座のうちの一社と記載されています。
また、調(つき)の名が、月と同じ読みであるところから、月の動物と云われた兎が神の使いとされ、中世の月待信仰(月のもつ神秘に畏敬をなし、月の出を待って祈る信仰)の広がりと結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれていたようです。今も兎の石像や社殿に飾られた兎の彫物、兎の絵馬など所々に兎が配されています。
というわけで、手水舎で口から霊水を吹き出してくれるのはウサギですし、
境内の池の噴水もウサギ、
そして、お守りもウサギです。
指先に乗る小さな信楽焼のお守りです。
うちではもう何年も玄関口に「鎮座」していらっしゃいます。
さてさて、これらの写真が来年の年賀状に採用されるかどうかは、私にも判りません
。
まだ時間はたっぷりありますから、じっくりと考えます。
そうだそうだ。
私が調神社にお参りした時、ちょうど七五三で賑わっておりましたです。
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