5月12日の記事「博物館をはしご(その3)」に、MOMOさんからコメントをいただきました。
MOMOさんは、昨年末の「年末関西旅行」以来の懸案になっていた平城宮のとある門(いきさつはこちらをご参照ください)の名前を調べてくださったそうですが、残念ながら判らなかった由。
ですが、MOMOさんの
質問なんですが、南門は「朝堂院の南門」ですよね。
というコメントが懸案解決の糸口になりました。
ふと思い立って、「朝堂院(ちょうどういん)」でググってみました。すると、怪しげなお方に関する多くの記事に混じって、Wikipediaの記述が引っかかり、それを見ますと主要な建物の名称入りの「平安京朝堂院再現図」が載っているではありませんか
この図によれば、私が「南門」と書いた平城宮の門は、平安宮(大内裏)では「会昌門」に、そして懸案の門は「応天門」にそれぞれ当たるようです。
問題は、門の名前が平安宮独自のものなのか、奈良~平安時代に共通するものなの?かという点。
「羅城門」「朱雀門」「朝堂院」「大極殿」といった主要な建物の名前は両宮に共通していますが…。
そこで、Wikipediaで「応天門」の項目をみますと、こんな記述が、、、
応天門(おうてんもん、應天門)は、平城京、平安京大内裏にあった門で、朝廷内での政務・重要な儀式を行う場であった朝堂院(八省院)の正門であった。朱雀門のすぐ北にあり、朱雀門・会昌門と並ぶ重要な門であった。
おおお…、BINGOoooooo
「なんとか門」は「応天門」でした。
ふ~~、すっきりしたぁ~
MOMOさん、ありがとうございました
図解してみました:2006/06/05 今度はフォト・レタッチ・ソフトに四苦八苦
解決されて良かったです。
おっしゃっていらした南門は太極殿の南門=「会昌門」
懸案の門は朝堂院の南門=「応天門」
ということですよね。
私もすっきりしました。
早速調べてくださって有難うございます。
お世話になりました。m(_ _)m
国立歴史民俗博物館の模型では、「会昌門」に「南門」という説明板しかついていなかったのですよ。
せっかくですから、小さくても、詳細な平面図も展示してくれればいいのに、と思いました。
また奈良に行きたくなってきました(首都圏の電車の車内には奈良のポスターがたくさん[E:sign01])。