間が空いたところで「博物館をハシゴ(その1)」のつづき、本編です。
航空科学博物館から、一般道を走ること約30分で国立歴史民俗博物館(歴博)に到着しました。
驚いたことに、メインの駐車場が満車です。そこで、表示にしたがって臨時駐車場へ。
私がクルマを止めたのは、下の地図で③(佐倉陸軍病院跡)と示されているあたり。芝生に石灰でラインが引かれた、ホントの臨時駐車場でした。
ちなみに、この地図が置かれていたのは「兵営の便所跡」
ちゃんと(?)、その遺構も残っておりました。
そして、いよいよ歴博に入館 時刻は15:15でありました。閉館時刻は17:00ですから、残り2時間もない状態でしたが、この時はさほど気にとめていませんでした。
歴博の展示は、第1展示室の「原始・古代」から第6展示室の「現代」まで、基本的に時代を追って、日本の歴史を現物・複製資料・復元模型を通じて「勉強」できるようになっています。
また、一部を除いて写真撮影OK(フラッシュOKの場所もあり)です。
で、「博物館をハシゴ(その1)」で書いたように「せっかく『Deep 千葉』まで出かけるのだから、そのついでに…」程度のテンションでやって来た歴博でしたが、ところがどっこい、数年ぶりに再訪した歴博は想像を遙かに超えて楽しむことができました
まず、「複製が多い(っつうか、展示のほとんどが複製)」という点も、複製だからオリジナルが造られた当時の状態で見られるという利点に変わります。
例えば、こんなにピカピカの銅鐸なんて、現物ではあり得ません
また、制作中の版木なんてのも面白い
もちろん、数は少ないながらも、現物もあります。
この千葉県市原市の山倉1号墳から出土したという埴輪は、かなりcute
同じく山倉1号墳出土のこちらの3体は、そうとうユルユルです。
この辺りで、私はかなりホックホク状態になっていました。
さらにうおぉと思ったのが、この平城宮第一次大極殿の模型です。
昨年末、奈良に行った時の旅行記「年末関西旅行記(その11)平城宮跡の巻」 で、
朱雀門と南門の中間地点付近の「何とか門(名前を調べたものの不明です)」の土台らしき場所の上には、こんなナイスな案内板がありました。
と書いた「何とか門」が、模型の写真で手前に見える門です。
ついに「何とか門」の名前が明らかになる と、ときめいたのですが、、、
模型に添えられた説明書きはこんなものでした。
奈良にあった平城京の羅城門(前にある赤い門)をはいると、一番奥に、この「平城宮」があります。
右奥の茶色い屋根の部分が、天皇の住む「内裏」です。
左の区画に、儀式に使われている大極殿があり、広場には役人たちが整列していました。
一瞬、「何とか門」=羅城門かと思ってしまいますが、羅城門は平城京の一番外にあった門で、朱雀門の内側にあるはずはありません(配置図はこちら)。
説明書きの「前にある赤い門」とは、この模型の手前にあるこちらの復元模型を指すようです。
平城宮第一次大極殿の模型にも門の名前は表示されておらず、結局、「何とか門」は「何とか門」のままでした
どなたか、この門の名前を教えていただけませんか
歴博探訪記はまだ続きます。
そして…:2010/06/01 あの門の名前がわかりました