約1週間のインターバルをおいて、「泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #2-1」のつづきです。
「ダイジェスト」にこの日の街探索ルートを載せましたが、「新潟市観光 mini MAP」にプロットした別バージョンを載せます。
西堀通(寺町)を右折して鍛冶小路に入り、ちょっと進むと、セブンイレブンの前で(私にとっては)珍しいものを見つけました。
横型の歩行者用信号機です。
新潟市内の信号機は縦型で、それは「雪国あるある」で何の不思議もないのですが、横型の歩行者用信号機なんて初めて見ました
ネットで調べてみたところ、道路交通法施行規則の別表第一(第四条関係)の「備考」で、
道路の状況により必要があるとき又は主として歩行者のために設ける信号機(以下この表において「歩行者専用信号機」という。) 若しくは可搬式の信号機を設けるときは、二・五メートル以上の高さとすることができる。
と定められていて、逆に言えば、歩行者用信号機は、信号機の下端が地上から2.5m以上高くなければならないということ。
ところが、この交差点の歩道にはアーケードがあるため、ここにおなじみの縦型の信号機を設置することは法令違反になってしまうというわけ。
なるほどね… と、さらに寄り道して調べると、群馬・桐生市の「樹徳高校入り口」交差点に、かなり例外的な歩行者用信号機があることを知り、Google Mapのストリートビューを見てみました。
ほぉ~、普通の交差点なのに、歩行者用信号機が横型で、しかも、異様に低い位置に取り付けられています。
実はこの辺り、かつて歩道にはアーケードがあって、この横型歩行者用信号機はそのなごりなのだとか。
やはり復習のブログ書きは勉強になります
さて、このセブンイレブンでお茶を買ったあと、私は鍛冶小路をさらに進み、東堀通との交差点を左折して進路を北北東に変えました。
そして、東堀通と新津屋小路の交差点で、これまた変わった商店街をみつけました。
100数十mにわたって、背中合わせの棟割り長屋のように、間口の狭い商店が連なっています
ここは「本町中央市場商店街」、通称「にいがた人情横丁」というところらしい。
私が行った時は、「シャッター通り」になっていたのですが、どうやらここは基本的に「日曜定休」のようです
この「人情横丁」、まるで新津屋小路(にいつやこうじ)の中央分離帯が商店街化したように見えます。もともと新津屋小路は中央分離帯があるような広い道じゃないのに…
この謎は、新潟遠征の復習とブログ書きの参考にしようとして視た「ブラタモリ」の「新潟~新潟は"砂"の町!?」(2017/7/30放送) で解けました
初回放送を視たはずなのに、タモリさんと近江ちゃん()が、この人情横丁で雨宿りがてら銀だらの塩焼きを食べていたなんて、まったく記憶にありませんでした。
で、昔、新潟の街には堀が縦横に通っていて(これは知ってた)、この人情横丁は、その堀(新津屋小路堀)を埋め立てた上に作られたのだそうな。そして、現在、人情横丁を挟んでいる 2本の狭い道路は、堀の両岸の道だったという…。
なるほど~ でした。
なお、歩いてきた西堀通、東堀通には、まさに西堀・東堀が通っていた由。
さて、人情横丁はほとんどの店が閉まっていたので、前半のブロックだけで切り上げ、白竜大権現のところで左折し、本町通から大通りに出ました。
ふるさと秋田市には「旧国道」と呼ばれる市道と、「新国道」と呼ばれる県道がありますが、この「国道」とは国道7号線のことで、私の生家や入学した小学校は「新国道」(当時は本物の国道だった) のほぼ沿線でした。
福島市でこれまたなじみ深い国道13号線の始点を見たとき、沼津で国道246号線の終点を通ったとき以来の感動(大げさ)でした。
ここから東堀通に戻り、北に進んでいくと、右手に覚えのある屋号を掲げたビルが…
「さけ茶漬け」で有名な加島屋の本店です。(基本的に日曜日はお休みみたい)
以前から「さけ茶漬け」は旨いけど高いんだよなぁ と思っていたら、たまたま何かのTV番組で「さけ茶漬け」の製造過程をやっていて、それを視たら、これは安売りできない商品だ と思いましたとさ。
加島屋さんの筋向かいに、大きな木造の建物がありました。
3階建ての古い木造建築というだけでも珍しいのに、大通りに背を向けているというのも珍しい。
これはいわくありげだと思い、地図を見ると、どうやらこの建物は古町花街を代表する料亭「鍋茶屋」の裏側らしい。
これは正面から拝見せねば と、来た道をちょっと戻り、新堀通から「新潟観光 mini MAP」に「鍋茶屋通(古町花街)」と表記されている通りに入っていきました。
そして、鍋茶屋通に入ってすぐに、「鍋茶屋」さん。
いかにも「格」を感じさせる風情です。
「ブラタモリ」で、タモさんがお座敷遊びを体験するシーンがあったことは記憶していましたが、見かえすと、その収録場所が、この「鍋茶屋」さんでした。
やはり遠征前に「ブラタモリ」を視ておくべきだったか…
鍋茶屋通に面した鍋茶屋さんの正面から古町通にかけて「取付道路」のような道がありました。
これは、もしかして、運転手付きのクルマでやってきたお客さん用の駐車場に使うのかな?
かつての私の勤務先は「新橋の料亭街」近くにありまして、近所の高級料亭の周りの道路では、夜になると運転手さんが乗ったままの黒塗りのクルマが群れをなして駐車していましたっけ…
この辺りは基本的に「夜の街」のようで、私が歩いた「日曜日の正午近く」は眠っているようでした。
ちょっと退屈しながら古町通を歩き続け、国道7号線を横断し、救世軍の向かいで、魅力的な古い建物に出会いました。
看板建築です
見た目はしっかりと手入れされているようですが、人気(ひとけ)はありません。
仕方ないので(?)、写真を撮るだけで通り過ぎましたが、この記事を書くにあたって調べたら、「コーヒー焙煎所とリソグラフ印刷スタジオ」として現役の建物でした (HP)
こちらのサイトによると、この建物は、1916年に、当時の吉野活版所の当主・吉野松次郎氏の設計で建てられたもので、2017年まで印刷業が営まれていたそうな。
「看板建築です」と断定してしまったものの、本当にそうか? と、Googleマップの航空写真を見ると、案の上、洋風のファサードの奥は、普通の三角屋根でした
でも、「看板建築」は、関東大震災(1923年) からの復興過程の東京が発祥とされているんだけど、この建物の竣工はそれに先立つ1916年…。はて…
難しいことは放っておきまして、Googleマップを見ていたら、吉野活版所のごく近くに、漫画家の高橋留美子さんの生家(産婦人科医院らしい) 跡があることを知りました。
私、そんなことはつゆ知らず、そこ(現在は駐車場)を通り過ぎました
きょう、鳥山明さんの訃報が流れていました。急性硬膜下血腫による急逝ということで、同世代の高橋さんもショックを受けているんじゃなかろうか
「#2-3」につづきます。
つづき:2024/03/10 泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #2-3
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