先週火曜日10月18日から東京国立博物館(トーハク)で始まった特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」を観てきました。
国宝に指定されている美術工芸品は902件(2022年10月現在)だそうで、その1割近い89件を所蔵しているトーハクが、今年創立150周年を迎えたことを記念して、12月11日までの2か月弱の間に、所蔵する国宝すべてを公開するというのですから、空前絶後の展覧会です。
もっとも、会期中いつでも観られる作品は刀剣、考古、法隆寺献納物の一部だけで、全89件を観ようとすれば、少なくとも4回行かなくてはならないらしい。
これはトーハクが意地悪をしているわけではなく、文化財(国宝・重要文化財)の公開についての規定があるからです。
その規定が具体的にどうなっているかといいますと、
というわけで、この展覧会の担当者は、規定と最近の展示実績、今後の展示計画を勘案して、各作品の展示日程を決めたのでしょう。まるで超複雑なパズルです。
さて、トーハク始まって以来の国宝大集結ですから混雑必至 そこで、完全日時指定制になっているわけでして、私はすかさず、ネットで無料日時指定券をgetしました。
「無料」なのは「東京国立博物館 友の会」の特別展観覧券を使うからで、顔パスではございませぬ
そして、私は10:40にはトーハクに到着。
と、ほぇ~
先週末、「国宝展がメチャ混みしている」という情報は得ていたのですが、平日でも、午前中からこれですか
あなどれませぬ…
で、私は、予約時間まで、約1時間にわたって、本館2階を観覧しました(本館1階と東洋館と考古展示は10日前に観た:記事)。
トーハクが収蔵している国宝は、平成館で大公開中の所蔵品89件だけでなく、寄託を受けているものが54件もあって、いつ行っても、総合文化展(平常展)では何点かの国宝にお目にかかれるのが常です。
ところが、10日前もきょうも、総合文化展では国宝の姿はありませんでした。
寄託品の国宝は、国宝展が閉幕した後の展示ために「休憩中」なのでしょう。
でも、国宝は観られなくても、十分に楽しめるのがトーハクです。
例えばこちら。
長谷川等伯「松林図屏風」です。
「国宝」展の冒頭を飾っているはずなのになぜ?
ですが、実はこれ、プロジェクションマッピングです。んなもんで、雪まで降らせたりして、やりたい放題
これは「未来の博物館」というデジタル技術を駆使した特別企画の一つで、「花下遊楽図屏風」「納涼図屏風」「観楓図屏風」と併せて国宝屏風4点を「高精細複製品」で楽しめました。
それと、菱川師宣「見返り美人」から着物だけが現実に飛び出してきたこちら。
絵で観るよりもずっと華やか。そして、当時の日本人女性の体格に合わせたのか、かなり小柄です。
このあと「国宝」展を観て知ったのですが、1970年代までは、衣装は精巧なマネキン「生(いき)人形」に着付けて展示したそうです。現在は、「作品の安定的で継続的な保管の観点から」衣桁に掛けて展示しているとな。
和服は洋服と違って、着ていないと平面ですから、ホントは、マネキンに着せた状態で360°から観られるようにするのが理想ですよねぇ
また、特集展示「東京国立博物館の模写・模造ー草創期の展示と研究ー」も面白かった
昔の一万円札を思い出す御物「聖徳太子二王子像」の模本(菅蒼圃・模)です。
草創期の東京国立博物館では、多くの模写・模造作品が作られました。これらは文化財の記録として、また展示品の足りない分野を補う役割が期待されていました。 外部の専門家に制作を依頼し、館内で専属の職員を雇用したほか、積極的に購入を進めました。
なのだそうで、他にも、菱田春草による「普賢延命像(模本)」とか横山大観による「四季山水図のうち夏景 伝雪舟等楊筆(模本)」も拝見できました。
現代では、作品が制作された当時の技術を研究することがメインの目的になっている「摸造・模本」ですが、昔は、展示品を補うという寂しい目的があったとは…
確かに、トーハク150年の歴史を振り返る上では重要な「摸造・模本」たちだと思いました。
模本はこの特集展示だけでなく、通常の展示室にも目を惹く作品がいくつもありました。
まずは、この夏に「日本美術をひも解く 皇室、美の玉手箱」@東京藝術大学大学美術館で久しぶりに拝見して、その美しさにほれぼれした「春日権現験記絵」の模本。
トーハクの模本は、
前田氏実、永井幾麻の二人が10年近くの歳月をかけて全20巻を写しています。原本の絵具の剥落や損傷、絹の様子なども忠実に再現した現状模写です。紙に描かれたにもかかわらず、原本の絹の質感をも再現しています。
だそうです。確かにお見事
それと、おぉっと思ったのが、こちらの「扇面法華経冊子(模本)」でした。
説明文によりますと、
現在四天王寺が所蔵する国宝「扇面法華経冊子」5帖のうち43図を模写したものです。法華経の経文は写さず、下図のみ剥落をそのまま写す現状模写をしています。当館と東京美術学校が共同で行った模写摸造事業において、美術学校教授の小堀鞆音と寺崎広業が写しました。
で、出たぁ~ 寺崎広業 でした。
寺崎広業の作品は、帰省した際に地元の美術館で何点も観ていますし、Wikipediaの記載にこんなところがあります。
明治10年(1877年)には太平学校変則中学科(現秋田県立秋田高等学校)に入学するも一年足らずで退学。10代半ば独り秋田に帰り牛島で素麺業をやったりしたという。
これでは私が色めき立たざるを得ないではありませんか
豊富なコレクションを背景に、いつも季節感あふれるトーハクの総合文化展(平常展)の中でもひときわ季節感が爆発している浮世絵のコーナーがまた凄かった
トーハクのHPでは、
和歌の名所である六玉川を題材とした作品の中でも、秋にちなむ歌が詠まれる「擣衣の玉川」(摂津国・大阪府)と「萩の玉川」(近江国・滋賀県)を中心に、菊や萩、紅葉など秋の風情を感じさせる作品を加えて展示します。
とありますが、ひたすら「砧(きぬた)」を描いた作品が続いている感じでした。
六玉川のうち摂津三島の玉川は、宇津木の花で知られ、擣衣(とうい)の玉川と呼ばれました。擣衣とは布を小づちで叩いて柔らかくすることをいいます。源俊頼の(ここでは相模とされる)「松風の 音だに秋は 淋しきに 衣うつなり 玉川のさと」を記した色紙が添えられています。
とあります。
布を叩いて柔らかくする「砧打ち」は、恐らく年間を通して行われた作業だと思うのですが、和歌や俳句の世界では「秋」のものになっているようです。
夜に響く砧打ちの音が、秋のもの悲しさを募らせるということなのでしょうか?
虫の音に秋を感じること以上に、砧打ちの音に秋を感じるところには、日本人の感性が現れていると思います。
とかなんとかしているうちに、私が「国宝」展の入場予約している11:30が近づいてきました。
きっと「11:30~12:30入場」の観客が列をつくっているのだろうな、と思いつつも、本館を出て、会場の平成館に向かいました。
「国宝」展の見聞録は「後編」で。
つづき:2022/10/26 「国宝 東京国立博物館のすべて」展を観てきた (後編)