驚きました。
まさかパリのノートルダム大聖堂で火災が起こるとは…。
そして、尖塔が焼け落ち、屋根の2/3が焼け落ちるとは…。
着工が1163年(日本ではまだ平安時代)で、竣工が1225年(北条政子の没年)ですから、700年近くもパリの中心、シテ島に鎮座していたノートルダム大聖堂ですから、パリ市民の喪失感たるや想像に絶します…
私、12年半前の欧州出張(ほとんど観光)でパリに行ったとき、ノートルダム大聖堂にも行ってきました。
もっぱらTVや雑誌で見かけるノートルダム大聖堂は、左に載せた私の記念写真同様に正面からの眺めが多くて、今回の火災で焼け落ちた尖塔は、「え? 尖塔があったの?」と思う方が多いかと思いますが、裏側から眺めると、しっかりとそびえ立っておりました。
それにしても不思議だったのは、石造りだと思っていたノートルダム大聖堂が、火事で焼けたという事実。
ニュースによれば、ノートルダム大聖堂は、基本的には石造りながら、柱や屋根には木材が使われていて、防火にはかなり気を使っていたのだとか。
でも、やはり、内部を観ても、やはり石造りっぽい…
ね、でしょ?
もう1枚、祭壇方面の写真を見ても、木材が使われている風には見えない…
と、ここで思い出した「私の1枚」
「ようこそ」ならぬ「よこそう」が気になってしようがなかった正面入口に掲げられたバナーの写真。
このバナーは、見紛うことのない、木製の扉に釘付けされていました
パッと見、完全に石造り なのですが、木材もしっかりと使われていたのですな。
ところで、この火災は天井裏付近から出火して、当時、ノートルダム大聖堂は修復工事の真っ最中だったとか。
ここで思い出すのは、やはり修復工事中に失火で壁画が焼け落ちた 法隆寺金堂の火事(1949年)です。
法隆寺金堂にしても、今回のノートルダム大聖堂にしても、モノがモノだけに、細心の注意を払って作業をしていたことでしょうけれど、失われたものの大きさときたら…
関係者にとっては、悔やんでも悔やみきれないだろうな…
再び立ち上がれ、ノートルダム大聖堂 です。
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