新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

嗚呼、ノートルダム大聖堂

2019-04-16 21:03:28 | 旅行記/ニュース

驚きました。

まさかパリのノートルダム大聖堂火災が起こるとは…。
そして、尖塔が焼け落ち、屋根2/3が焼け落ちるとは…。

着工1163年(日本ではまだ平安時代)で、竣工1225年(北条政子没年)ですから、700年近くパリ中心シテ島に鎮座していたノートルダム大聖堂ですから、パリ市民喪失感たるや想像に絶します…

私、12年半前欧州出張(ほとんど観光)でパリに行ったとき、ノートルダム大聖堂にも行ってきました。

もっぱらTVや雑誌で見かけるノートルダム大聖堂は、左に載せた私の記念写真同様に正面からの眺めが多くて、今回の火災で焼け落ちた尖塔は、「え? 尖塔があったの?」と思う方が多いかと思いますが、裏側から眺めると、しっかりとそびえ立っておりました。

それにしても不思議だったのは、石造りだと思っていたノートルダム大聖堂が、火事で焼けたという事実。

ニュースによれば、ノートルダム大聖堂は、基本的には石造りながら、柱や屋根には木材が使われていて、防火にはかなり気を使っていたのだとか。

でも、やはり、内部を観ても、やはり石造りっぽい…

ね、でしょ?
もう1枚、祭壇方面の写真を見ても、木材が使われている風には見えない…

と、ここで思い出した「私の1枚」

「ようこそ」ならぬ「よこそう」が気になってしようがなかった正面入口に掲げられたバナーの写真。

このバナーは、見紛うことのない、木製の扉に釘付けされていました

パッと見、完全石造り なのですが、木材もしっかりと使われていたのですな。

ところで、この火災天井裏付近から出火して、当時、ノートルダム大聖堂修復工事の真っ最中だったとか。

ここで思い出すのは、やはり修復工事中失火壁画が焼け落ちた 法隆寺金堂火事(1949年)です。
法隆寺金堂にしても、今回のノートルダム大聖堂にしても、モノがモノだけに、細心の注意を払って作業をしていたことでしょうけれど、失われたものの大きさときたら…

関係者にとっては、悔やんでも悔やみきれないだろうな…

再び立ち上がれ、ノートルダム大聖堂 です。

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