新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

思いつきの岐阜ドライブ旅行 #2-2

2020-03-29 16:02:26 | 旅行記

「思いつきの岐阜ドライブ旅行 #2-1のつづきです。

比叡山ドライブウェイは、ときおり対向車がやって来るくらいで、私の前を走るクルマも後ろを走るクルマもなく、マイペースでつづら折りの道をスイスイと登れました。
そして、小さなトンネルを抜けると駐車場に到着

平日で、しかもこんな天気もあってか、駐車場ガラガラでした。

さっそく比叡山延暦寺にお参りしましょ。

石碑には「登叡成佛」って彫ってあるのでしょうか?

それを確認することなく、参拝入口で拝観料をお支払いしますと、1000円と、ちょい高め

でも、拝観券をよく見ると、

本券で比叡山延暦寺(東塔・西塔・横川の各地域)の諸堂をご参拝いただけます。

だそうです。
ここで比叡山延暦寺マップを見てみましょう。

比叡山延暦寺は、観光地山頂を除くと、東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)3つのエリアで構成(?)されています。
この3つのエリアの参観ができるというのであれば、1000円安いかも…

それはともかく、なぜ「東塔」が「とうどう」で、「西塔」が「さいとう」なんでしょ? とか、
「横川」というと、「横川の恵心僧都の妹」が頭に浮かんでくるんだけど何だっけ? とかいろいろ考えながら、比叡山延暦寺に関わる高僧のパネルが並ぶ参道を歩きました。

帰宅してから調べてみたものの、「とうう」「さいう」の理由は判りませんでした
また、「横川の恵心僧都の妹」は、十訓抄にあるこちらのお話でした。
ちなみに「恵心僧都」というのは、比叡山延暦寺の横川で修行して「往生要集を著し、浄土宗派の基礎を成したと言われる源信さまのこと。そして「僧都(そうづ)」というのはお坊さんの官職の一つだとか。

それにしても、参拝客いなぁ~い

私以外の参拝客は、周りを見渡して2~3組くらいのもので、ほとんど独り占め状態です。

まずは、大講堂を参観

この建物は、説明板によると、

大講堂【重文】
天台座主第一世義真和尚の建立によるもので、僧侶が学問研鑽のため論議する道場です。
ことに、慈恵大師が始修され、4年目ごとに行われる比叡山の古儀「法華大会広学竪義」は、一人前の天台僧になる為の重要な儀式、階梯として現在につづいています。
現在の建物は、昭和31年の旧堂焼失後、山麓坂本にあったものを移築したもので、堂内には叡山で研修された各宗派の御開山の尊像が安置されています。

だそうですが、調べたところ、こちらのサイトによると、

現在の大講堂は東照宮の本地堂として1634年(寛永11)山麓に建立された讃仏堂を、1963年(昭和38)に前堂の跡に移建したものである。平面規模は正面の柱間数7間で22.74m、側面6間で18.02m、一重、屋根は入母屋造銅板葺(いりもやづくりどうばんぶき)で、和様を基調として長押(なげし)をめぐらし蔀戸(しとみど)を多用しているが、妻飾(つまかざり)は二重虹梁大瓶束(こうりょうたいへいづか)で一部に桟唐戸(さんからど)をもちいるなど、禅宗様式もはいっている。内部はすべて床を張り、前から3間を外陣、その奥を内陣とし、胎臓界の大日如来像を中心に十一面観音像弥勒菩薩像を脇侍とし、桓武天皇、聖徳太子、天台大師、最澄のほか、比叡山で修学後一宗一派を開いた僧などの木彫像や画像が数多く安置されている。県指定文化財。(成瀬弘明)」とあります。

だそうです。

大講堂の中に入って、御本尊大日如来にお参りしたあと、須弥壇の左右に並ぶ、比叡山延暦寺で修行し、その後、宗派を開いた御祖師さまたちにもお参りしました。
各宗派がお納めしたしたという御祖師さまは、

法然(浄土宗), 親鸞(浄土真宗), 良忍(融通念仏宗), 真盛(天台真盛宗), 一遍(時宗)

日蓮(日蓮宗), 道元(曹洞宗), 栄西(臨済宗), 円珍(天台寺門宗)

と、蒼々たる御面々です。
向かって左側(上段に列記)が浄土・念仏系の諸宗派、右側(下段)が禅・天台・法華系と分けられているのが面白いですねぇ。

そして、伝教大師(最澄)が比叡山に庵を開いて(785年)から400年以上経った鎌倉時代に、まさしく一斉にいわゆる「鎌倉仏教」が生まれたというのも興味深い史実です

最澄の教え「照千一隅」そのままに、各御祖師さまたちが、それぞれの場所・やり方一隅を照らし始めたということなのでしょう。

ところで、「照一隅」「照一隅」かという議論があるようです。
最澄が天台宗の修行規定として著した「山家学生式」の冒頭、

国宝何物 宝道心也 有道心人為国宝
故古人言 径寸十枚 非是国宝
照千一隅 是即国宝

の一節なんですが、比叡山延暦寺公式な読み下しでは、「照一隅」説で、

国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす、故に古人の曰く、径寸十枚これを国宝にあらず、一隅を照らす、これ即ち国宝なり

となっています。
でも、最澄直筆を見ると、上に載せた石碑そのまま(って、石碑が最澄の自筆を拡大して彫ったものだと思う)

で、どう見ても「于」ではなく「千」と書かれていますよねぇ~

これ以上難しいことを考えても、所詮トーシローの私には荷が重いので、話題を変えまして、もう一つの重要な最澄の教えのキーワード、「忘巳利他 慈悲之極」のこと。
「巳(おのれ)を忘れて他を利するは慈悲の極み」という言葉を、品不足になっているものを必要以上に買いだめしたり、オークションサイトに高値で出品する餓鬼もどきたちに捧げたいと思いますな。

つづき:2020/03/31 「思いつきの岐阜ドライブ旅行 #2-3」 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 思いつきの岐阜ドライブ旅行 ... | トップ | 思いつきの岐阜ドライブ旅行 ... »

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事