新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

久しぶりの東博、やはり楽しい♪(その1)

2011-08-26 10:07:56 | 美術館・博物館・アート

昨日、久しぶりに東京国立博物館(東博)に行ってきました。
久しぶり」と言っても、前回行ったのはゴールデンウィークでしたから(その時の記事はホンのちょっぴりですがこちら)、まだ4か月も経っていません。
ところが、上野はずいぶんと変わっていました。
まず、上野から見えるスカイツリー

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左が今年5月6日の様子で、右が昨日8月25日の様子です。

タワークレーンが1基しか見えません。もしかすると、この1基も、小型のものに置き換わっているのかもしれません。

   

また、上野公園で行われている工事(こちらのPDFをご参照方)も進んでいまして、噴水池が、

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こんな状態になっている一方で、これまで、立木の陰でかなり地味な存在だったこちらの銅像が日の目を見ていました。

110826_1_03 ご存知、野口千円札英世博士の銅像です。
銅像の傍らにある台東区教育委員会による説明板によれば、

銅像造立の活動をはじめて起こした人物は福島県三春町出身の玉応不三雄である。玉応は英世の偉業を後生に伝えようと、昭和22年より募金活動を行ったが国内の経済力が貧弱な次期にあって困難をきわめ、中途にして病に倒れた。その後、日本医師会・北里研究所・野口英世記念会等が活動を引き継ぎ、昭和25年には東京都教育委員山口匡輔を建設委員長にむかえ、山崎の周旋によって上野公園に造立されることが決定した。

昭和26年3月、現在地に造立。月は異なるものの英世の命日である同月21日に除幕式が行われた。
なお、銅像前面の標示石・敷石は昭和46年に会津会が設置したものである。

だとか。
上野公園の整備が終わっても、この地点は、今のように陽のあたる場所であって欲しいものです。

   

さて、やってきました、東博

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現在、東博では、いつもの「総合文化展」の他、「空海と密教美術展」(9月25日まで)と特別展「孫文と梅屋庄吉」(9月4日まで)が開催中で、私は、

本館2F「総合文化展・日本美術の流れ」⇒本館1F「孫文と梅屋庄吉」⇒昼食⇒本館1F「総合文化展・ジャンル別展示」⇒平成館1F「総合文化展・日本の考古」⇒平成館2F「空海と密教美術展

という観覧ルートを考えていまして、さっそく本館の大階段を昇り始めました。

と、

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何かいます

実はこれ、本館2階で開催中の親と子のギャラリー「博物館できもだめし-妖怪、化け物 大集合-」 (8月28日まで)のサインボードでした

   

さて、本館2F「総合文化展・日本美術の流れ」。
東博は何度来ても初見の作品がてんこ盛りで、昨日も萌え上がりまくりでした

まず、国宝室の「一遍上人伝絵巻 巻第七」が素晴らしかったぁ~
時宗の開祖・一遍の生涯を描いた絵巻で、一遍の没後10年の正安元年(1299)に弟子の聖戒が起草し,法眼円伊が描いたものだそうな。

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いやはや、いったい何人の人が描かれているのでしょうか(写真は絵巻のごく一部
これほどたくさんの人が描かれた絵画は、世界中を探してもそうそう見つかるものではないと思います。
しかも、貴賤男女の別を問わず、すべての人々が丁寧に細かく描かれていて、作者の法眼円伊さんはさぞかし「人間が好き」だったのだろうと感じ入りました。
保存状態も良好で、これほどの作品を心ゆくまで観られるというのは、まさに眼福以外のなにものでもありません
上の写真はガラス越しの斜め撮影のため色合いがぼやけていますが、肉眼では色鮮やかに観ることができます。
ちなみに「一遍上人伝絵巻 巻第七」の展示は10月2日までとまだ余裕がありますので、東博へお出かけの節はお見逃しなく お薦めデス

   

つづいて紹介する「総合文化展・日本美術の流れ」の展示は、私のふるさと・秋田とゆかりのある作品。

まず、「後三年合戦絵巻」(飛騨守惟久筆、1347年)。

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こちらは、保存状態があまり良くなく、かなり剥落が見られます

110826_1_08 でも、私としては、秋田県内を舞台とした作品を生で拝見できただけでデス

ちなみに、後三年の役の古戦場にはJR後三年駅(すごいネーミングだ)がある他、道の駅 雁の里 せんなんにはこんなのが建っています。
右の写真は、2年前の夏休みに秋田県立近代美術館に出かけた帰り(記事はこちら)に撮ってきました。

次に紹介するのは、三春藩主秋田家に伝来した室町時代の甲冑「樫鳥糸肩赤威胴丸(かしどりいとかたあかおどしのどうまる)」です。

110826_1_09う~む、室町時代の甲冑だけあって、私が好きな安土桃山時代の甲冑のような面白みには欠けますが、いかにも鎧・兜って感じです。

ところで、三春町歴史民俗資料館WEB資料館、そんじょそこらの県立の施設のWebなんぞは顔色を失うくらい、極めて詳細な解説が満載です。
三春町関係者に拍手喝采です
公立の歴史資料館関係者は三春町歴史民俗資料館のサイトを参考にするように

この際ですから、お隣・山形県由来の展示も紹介しましょう。

110826_1_10

羽黒山(中学校の遠足で行きました)にある出羽三山神社前の御手洗池(みたらしいけ)から発見された「羽黒鏡(はぐろきょう)」で、12世紀のもの。祈願のために池に放り込まれたという説があるそうです。

展示の仕方が「いかにも東博」でステキですなぁ~
また、銅鏡は直径10cm内外の小さなものながら、説明に「柔らかにあらわされた花鳥文様が平安時代の繊細優美な好尚を伝えている」とあるとおり、古墳時代以前の銅鏡とはまったく違っていて、日本史で習った「国風文化」という言葉を思い出しました。

   

例によって、大好きな安土桃山時代の甲冑をご紹介。

110826_1_11 今展示されているのは「南蛮胴具足」です。

兜につけられた兎の耳cute

そして、横から観た兜のたたずまいが、これまたBeautifulなのですよ。

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また、すぐ隣りに展示されていた「紫糸素懸威烏帽子形桐紋兜(むらさきいとすがけおどしえぼしなりきりもんのかぶと)」(安土桃山~江戸時代・16~17世紀)も、外連味たっぷり

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いやはや、楽しい

まだまだ本館2F「総合文化展・日本美術の流れ」のご紹介の半ばですが、長くなってしまいましたので、ここで小休止をいただきます。

と、その前に象さん関連の作品を2点載せておきます。

110826_1_14 上が「象香炉」(江戸時代・19世紀)で、下が伊万里「染付洗象図大皿」(江戸時代・18~19世紀)です。
大皿の説明によれば、

明時代から清時代にかけて北京の宮廷で行われた「洗象」の図と考えられる。洗象とは盛夏の旧暦六月に宮中で飼われている象を洗う年中行事。

だそうな。
中国の宮廷が象を飼っていたことにビックリですが、象を洗うことが年中行事だったことも驚きです
いやいや、それ以上に、象さんの耳がしおれた菜っ葉みたいなこと、そして、眉毛が描かれていることが面白い
きっと作者は実物の象を見たことがなかったのでしょう

ということで、小休止をいただきます。

つづき:2011/08/26 久しぶりの東博、やはり楽しい♪(その2)

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