「半年前の信州旅行記(その17)善光寺編⑨」のつづきです。
「牛に引かれて善光寺参り」というフレーズがあります。
私も聞いたことがありましたが、意味が判らず、それでいて、意味を調べる気にもならず、片方の耳から入ってそのまま反対側の耳から抜けて行っておりました。
善光寺本堂裏には、こんなものがありまして、
ここまできて、ようやく牛と善光寺との関係に興味が湧いてきました。
善光寺のHPに、「牛に引かれて善光寺参り」の詳しいお話が載っていますが、結構長い文なので、こちらから引用しますと、
思いがけず他人に連れられて、ある場所へ出掛けること。また、他人の誘いや思いがけない偶然で、よい方面に導かれることのたとえ。
だそうです。
なるほど、、、そういう意味でしたか…
私の場合、「MISIAに引かれて○○○参り」と言い換える方がよろしいようですな
MISIA絡みの遠征ついでにあちこちを訪ねて 楽しんでいますからねぇ
で、上に載せた写真は、森永乳業が寄進(?)した「乳牛親子像」だそうで、お母さんが「善子さん」、仔牛が「光子さん」だとか。
善光寺のサイトで「乳牛親子像」の由来を見ようとすると、、、、写真とキャプションが一致していません
経蔵前に設けられた一対の石柱で、「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれています。石柱の中央にはめ込まれた輪廻車を回すと、極楽往生できるといわれています。
って、輪廻塔の説明ですな
「乳牛親子像」の正しい「説明」は、
樹脂で作られた乳牛の親子「善子さん」と「光子さん」の像です。「牛にひかれて善光寺参り」に登場する雄牛とは異なりますが、微笑ましい姿で広く親しまれています。
です。
でも、この説明じゃ「由来」は判りませんぞ
仕方ないので、先に進みます
上に名前が登場した「輪廻塔」、私は拝見することができませんでした。
というのも、経蔵が修理中で、「輪廻塔」はその囲いの内側でした
この工事の「囲い」には、経蔵の説明図が描かれていて、例えば、屋根の上の「火焔宝珠」については実物大かつしっかりした説明が書かれていました
「宝珠」とは元来は「宝の玉」という意味で、方形の屋根の最頂部に設けられる伝統的建造物における建築的装飾の総称です。
塔状の建物の頂部には「相輪」と呼ばれるリング状の金物を重ね合わせた装飾が設けられることも多いですが、これに対して「宝珠」は比較的高さの低い建物に多く取り付けられています。
善光寺経蔵の「宝珠」は玉の形に加え、火焔状にデザインされた装飾金具が付加されています。これは建物を火災や水難から護る意味があるとされています。
だそうです。
きっと「日本最大の宝珠」は、「巨大なタマネギ」とも呼ばれるこちらだろうな…
話を善光寺・経蔵に戻しまして、経蔵の中には、
八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められています。輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。
だそうです。
一切経を収めた「回転式書架」は、三井寺(訪問記はこちら)で現物を拝見したことがありましたし(写真も撮ったのですが、ボケボケでお見せできませぬ)、高野山壇上伽藍には、かつては建物自体が回転したという「六角経蔵」もありましたっけ…
「輪蔵」を廻すだけで一切経を全部読んだことと同じ功徳が得られるなんて、なんともお手軽ですこと
お坊さんがお経を上げながら、経本を南京玉すだれのように、両手でバラバラとはためかすようような所作をすることがありますが、これも、経本をバラバラとはためかすことで、そのお経を読んだことにするらしい。
この手の「お手軽」としては、「この日にお参りすれば、数万日お参りしたのと同じ功徳が得られる」という「二万五千日」とか「四万六千日」なんて例もありまして、俗人にとってはありがたいことであります。
本堂の北西に、堂々とした三重塔が立っていました。
これは、「日本忠霊殿」という建物で、
戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦争で亡くなった、約240万柱の英霊を祀る仏式霊廟です。明治39年(1906年)に創建され、昭和45年(1970年)に現在の姿に改築されました。
というわけで、靖国神社の仏教版といったところでしょうか?
ちなみに、日本忠霊殿前の六角灯籠は、松下幸之助さんが寄進したものだそうです。
日本忠霊殿の1階には、「善光寺ゆかりの宝物を展示」する善光寺史料館が併設されていましたが、今回は時間の関係でパスいたしました。
善光寺史料館では、経蔵の工事期間中、一切経を展示しているようで、今にして思えば、拝観してくれば良かったかもしれない気がしないでもありません
こうして、約1時間にわたって善光寺境内を歩き回った後、長野駅へと戻りました。
なんとも慌ただしいのですが、1日で善光寺と松本市を観光してしまおうという強行軍なもので…
復路はバスに乗ろうかとも思ったのですが、急にソバを食べたくなったもので、ソバ屋を探しつつ徒歩で長野駅に向かうことにしました。
ところが、時刻はまだ10:00 営業中のソバ屋が見つかりません
あ~あ…と思いかけたとき、駅前に営業中のソバ屋さんを発見
やったぁ~ とざるそばをいただきました
朝食を食べてから3時間ほどしか経っていないのですが、ソバは別腹 です
で、ざるそばが出てきて驚きました
ワサビがない
仕方ないので七味唐辛子で食べました。
この「しきたり」、長野では一般的なのか? と調べると、案の上、長野(市)では七味唐辛子で盛りそばを食べるようです
私はこの「しきたり」を知らず、つゆに七味唐辛子を入れて食べましたが(やはりワサビが恋しかった…)、ソバに直接七味唐辛子をかけて食べればよかったかな・・・
それでも、長野市でソバを食べられてよかった、よかった…
ほんの2時間ちょっとの長野市訪問ではありましたけれど、大満足でございました
つづき:2016/02/02 半年前の信州旅行記(その19)松本編①
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