真夏の関西旅行記 (その8)[平城宮跡編の壱]のつづきです。
第二次大極殿跡の次に訪れたのは、遺構展示館。こちらは発掘調査で見つかった掘っ立て柱の跡が「掘り出しました」風の「遺跡」の風情が漂っていました。
また展示館の隣には宮内省の建物が復原されています。
屋根が柿(こけら)葺きなのが意外でした。何となく、役所の建物も、大きなお寺や、平城宮の門や大極殿のように、礎石の上にど~んと柱を立てて、屋根は瓦で葺かれているものと思い込んでいたのですが、先ほどの掘っ立て柱の跡にしても、大極殿の周りの役所は結構簡素な造りだったようですな。
と、遺構展示館をのんびり見学しているうちに、時刻は平城京歴史館の入館予約時間の10分前になっていました。こりゃ急がねばと、炎天下、早足で来た道を戻ったのですが、この時がこの日一番の苦行でした。
そして、なんとか予約時刻に平城京歴史館に入館すると、冷房が効いていて何と気持ちいい
生き返った心地…なのは良いのですが、、、、
残念ながら展示がつまらない
展示のほとんどが、ストーリー仕立て、アニメ仕立てで、私としてはう~むでした。
それでも、復原された遣唐使船には興味が駆り立てられましたし、
平城京VRシアターは予想に反して、非常に面白かった
目の前に広がる現実の平城宮跡に、1300年前の様子をイメージして、それを重ね合わせることが楽しくて、こちらは「おとなの鑑賞」に耐えられる内容だったと思います。
ただ、私の前の席のお母さん、たかだか12分間に何回携帯をチェックしていたことか
平城京歴史館には入場料500円払うだけの価値があっただろうかと、幾分疑問に感じながら、次に向かったのは、平城遷都1300年祭 平城宮会場の目玉ともいうべき第一次大極殿でした。
第一次大極殿は外観はもとより、細部までしっかりと作り込まれていました。
高欄に並ぶ五色の宝珠とか、
やりがんなで仕上げたらしいうねうねした扉とか、
巨大な工芸品のような高御座(たかみくら)とか、
天井や欄間の絵とか、
どれもよいデキでした。
第一次大極殿の写真、最後は映画「ラストエンペラー」の名シーンを連想させるようなこの写真。
第一次大極殿は一見の価値ありです しかも無料というのがありがたい。
平城遷都1300年祭のHPによれば、
その建物は奈良時代の中頃に、一時都とした恭仁(くに)宮に移築され、山城国の国分寺金堂になりました。
だそうで、この地に第一次大極殿が建っていたのは、ほんの数十年間ということになります。これほどの建物を建て、数十年後に解体して移築したとは…
奈良文化財研究所のこちらのページに書かれていますが、今から1300年前の710年に藤原京から平城京に遷都して以降、794年から平安京に1100年以上も腰を落ち着けるまで、710:平城京⇒740:恭仁京⇒744:難波京⇒745:紫香楽京⇒745:平城京⇒784:長岡京⇒794:平安京と、都は転々としています。
いろいろ事情があったのでしょうけれど、土地の造成やら、建物の新築・移築やら、関係者の引っ越しやらと、遷都には莫大な労力とお金がかかったことでしょう。なんとももったいない気がします。
この地が都でなくなった後のことについては、この後行った平城宮跡資料館で貴重な資料を目の当たりにすることになりますが、そのことはまた後日。
つづき:2010/08/17 真夏の関西旅行記 (その10)[平城宮跡編の参]
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