きょうの夕方、信州旅行から無事に帰着しました。
帰宅して、ビール
を飲みながら、旅行中に撮りまくった写真を整理
している頃、豊洲PITで開催中の「The Unforgettable Days at チームスマイル・豊洲PIT」にMISIAがサプライズ出演
して、「ジュリアン」を歌った
というニュースが飛び込んできて、大ショック
を受けているところですが、8回目の「3.11」を間近に控えた昨夜、MISIA渾身
の「明日へ」を聴けた
ことですから、WOWOWでの再放送
に期待しながら、きょうのダイジェストを…
まずは旅程です。
ホテル⇒徒歩
⇒松本駅⇒特急「しなの1号」
⇒長野駅⇒路線バス
⇒木町
⇒徒歩
⇒松代象山地下壕
⇒徒歩
⇒(象山神社)⇒真田邸
⇒徒歩
⇒真田宝物館
⇒徒歩
⇒松代城址
⇒徒歩
⇒松代駅前
⇒路線バス
⇒川中島古戦場
⇒川中島古戦場史跡公園
⇒八幡社⇒川中島古戦場
⇒路線バス
⇒長野駅⇒北陸新幹線(はくたか)
⇒大宮駅⇒埼京線
⇒最寄り駅⇒徒歩
⇒自宅
私にとって2度目になる長野市、前回は長野駅と善光寺との間を往復(徒歩
)して、善光寺にお参りして、長野駅前でざるそばを七味唐辛子で食べただけで、滞在時間
は2時間ちょっと
でした(旅行記
はこちら)。
そこで今回は、以前から気になっていた松代に出かけてみました。
「気になっていた」と書きましたが、「松代」という地名を、真田家の松代藩、前の大戦末期の大本営移転構想などで聞いたことがある程度のことで、その「松代」が長野県のどこにあるのかも知りませんでした
ただ、「長野市の近くにあるらしい」ことは判ってきましたので、今回の長野旅行の「準備の準備」の段階で調べてみると、、、、あれま
、松代は長野市の一部だし、こちらもどこにあるのか知らなかった川中島が長野駅から松代に向かう途中にある
ではありませんか
それならば、松代と川中島古戦場の両方を探訪してみよう と思い立ったわけです。
長野駅と川中島古戦場を経て松代を結ぶ路線バスは、30分ごとに運行されていて、その所要時間
は、おおよそ、「長野駅⇔28分
⇔川中島古戦場⇔8分
⇔松代駅前」といった感じ。
そして、松代と川中島古戦場の順番と、その時間配分
を考えた結果、
9:09 松本駅⇒10:01 長野駅⇒バッファ 14分⇒10:15 長野駅⇒10:43 松代駅⇒松代探訪(2時間17分)⇒13:00 松代駅⇒13:08 川中島古戦場⇒川中島古戦場史跡公園探訪(1時間30分)⇒14:38 川中島古戦場⇒14:59 長野駅⇒バッファ 21分⇒15:20 長野駅⇒16:26 大宮駅
という計画を立てました。
「長野駅15:20発」の北陸新幹線は「固定」ながら、その他は成り行き任せ…
結果からいいますと、松代での滞在が予定より30分間延び、その反動で川中島古戦場史跡公園での時間が30分短くなって、もくろんでいた長野市立博物館を拝見
する時間がなくなってしまいました
これというのも、松代の見どころが予想以上だったのですよ
まず初っぱなの松代象山地下壕が、あきれるほど広大で、とんでもない「施設」でした
第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割が完成しました。
というこの地下壕、「総延長10km」という長さもさることながら、その規模が、、、
幅5m 、高さ3mはあろうかというトンネルが延々と続いているのですよ
沖縄で見学した海軍司令部壕(記事はこちら)に比べても、仕上げはこれからの段階ながらも、そのスケールはこちらの方が相当デカい
そりゃ、「大本営、政府各省等」のみならず、皇居までも引っ越そうと作った地下壕の一部なんですから…
もう、驚くやら呆れる
やら…で、「百聞は一見にしかず」そのもの
でした。
松代藩を治めた真田家のお宝を収蔵している「真田宝物館」は、その名の怪しさ
とは裏腹に、なんだかニコニコ
しながら観覧
できました。
展示されているものも楽しいものが多かったことに加えて、説明板のタイトルや文章がなんともcute
博物館の説明板がcute
だなんて…
と思われるかもしれませんけれど、これは実際に観ていただかないと理解できないでしょうな。
全然説明になっていませんが、こういうのも、絶対
にアリ
です
また、「九代藩主・幸教が、義母・貞松院(幸良の夫人)の住まいとして1864(元治元)年に建築した松代城の城外御殿」で、「明治以降は伯爵となった真田氏の私宅となりました。」という真田邸は、
建物自体は天井の高い立派なお屋敷なんですが、こんな展示がありました。
初代松代藩主となった真田信之(信幸)のお名前が書かれていますが、これは、なんと、
大河ドラマ「真田丸」で実際に使われた真田信之改名の書。
ドラマの中では、関ヶ原合戦後、父・昌幸が石田三成方について敗れたことを受け、徳川方への配慮として信幸が「幸」の字を「之」に改めた場面で使われた。
というシロモノで、NHKからの寄贈品だそうです。
「真田丸」が大好きで、この書が書かれた場面もしっか
と記憶している私としては、目
がほげぇ~
となってしまいました。
と、ダイジェストにしては長くなりつつあるところで、おしまいにします。
つづきは、(いつ始まるともしれない…) 旅行記本編で書きます。
たった1泊2日の旅行ではありましたが、天候にも恵まれて、よい旅行になりましたとさ。