「改札を入ってから行き先を決めた(前編)」のつづきです。
あてどなく最寄り駅の改札を入った私が朝食後に向かった先は、大宮の氷川神社でした。
私がさいたま市(旧与野市・旧浦和市を含む)に住み始めてずいぶん長いことになり、かつ大宮にも買い物やら新幹線
への乗り換えやらでちょくちょく出かけていましたが、「大宮」の地名の由来になっているという氷川神社には一度も行ったことがありません。
せいぜい、野暮用としか言いようのない用事(仕事)で、さいたま新都心駅から参道をちょいと歩いて市民会館おおみやまで行ったことがあるくらいの接点です。
これじゃさいたま市民としてはマズかろうと思いつつ、なかなかその機会がありませんでした。
相変わらず雑然とした大宮駅東口を出て歩くこと10数分で、氷川神社の参道も終盤の二の鳥居前に到着しました。
蹲踞(そんきょ)したお相撲さんの股ぐらに獅子がもぐり込んで暖をとっているみたい
こんな意匠の石灯籠、初めて見ました。
「初めて見た」と言えば、この警戒標識も初めて見ました
「幅員減少」ではなく、「くびれあり」
車道を狭めているのは何かと思ったら、こちらの切り株でした。
かなり大きな切り株で、根元には大きなウロが広がっています。
もうすっかり枯れているのに撤去しないのには何かわけがあるのでしょうか?
もしかして祟りを恐れている?
そういえば、大手町の三井物産ビル前にある「将門塚」、辺りの再開発にあたっても、そのまま手つかずなんだそうで、これは将門の祟りを恐れてのことではないかと言われているようです。こちらの記事によれば、デベロッパーの三井不動産も「神聖で大切な場所と認識している」とコメントしているとのことで、「祟り回避」を否定していないのが面白いですな。
それはさておき、三の鳥居をくぐり、神楽殿と額殿を右手に見て、
約2km南にある一の鳥居からほぼ一直線だった参道が緩やかに左にカーブして、楼門が見えてきました。
常緑樹の濃い緑と、神橋と楼門の朱のコントラストが鮮やかです
楼門をくぐると、氷川神社の境内は結構賑わっていました。
結婚式が4~5件予定されていたほか、お宮参りのご一行が多数いらっしゃいました。
本殿は銅板葺きで、5本の鰹木と「外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)」の千木を戴いています。
氷川神社のFAQによれば、
現在の本殿は昭和15年(1940)に造営されました。当時の屋根は桧皮葺きでしたが明治天皇御親祭百年大祭の際に奉賛金を募り現在の銅板葺きとなりました。以前の本殿は男体社(なんたいしゃ)、女体社(にょたいしゃ)、簸王子社(ひおうじしゃ)と三社が別々に建っておりました。本殿の他、拝殿、舞殿、楼門、手水舎もこの時造営されたものです。
だそうです。
個人的には檜皮葺(ひわだぶき)の方が好みなんですが、維持・補修
が大変そうですものねぇ
両親の健康と世の平安をお願いした私は、氷川神社の神域を出て大宮公園に向かいました。
こぢんまりした日本庭園を通り、
次なる目的に設定した埼玉県立歴史と民俗の博物館を目指したのですが、ここから先は「後編」で書くことにします。
つづき:2014/12/18 改札を入ってから行き先を決めた(後編)