伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』に、行動する保守」を名のる団体・個人がNHKやフジテレビなどに過激な抗議活動をしたことが書かれています。
保守とは何か。
保守と右翼は違うのか。
ネトウヨは保守なのか。
適菜収『安倍でもわかる保守思想入門』を読みました。
人間の理性に懐疑的であることが保守主義の本質。
人間の理性は完全であって、明るい未来が描けるという考えは保守ではない。
人間は合理的には動かないし、社会は矛盾を抱えて当然だという前提から出発する。
保守は人間が不完全であり、人間の理性や知性には限界があることを認めるから、この道しかないという言い方を保守政治家はしない。
保守は安易な解決策に飛びつかない。
理性的に考えれば、理性で解決できないことのほうが多いことに気づく。
リベラルや左翼は理性を信頼する。
きちんと論理的な思考を積み上げていけば正解にたどり着くと信じている。
理性の拡大の延長線上に理想社会を見いだそうとする。
保守主義者は理想を示すものではない。
保守は左翼のように自由や平等を普遍的価値と捉えない。
自由の暴走はアナーキズムに行き着くし、平等の暴走は全体主義に行き着く。
保守主義は特定のイデオロギーを警戒する。
非常識な人がいたら、「非常識だ」と注意する。
乱暴な人がいたら、「乱暴はやめろ」と警告する。
それが保守であり特定の理念を表明するものではないから、保守は思考停止を戒める。
保守と右翼は直接関係ない。
復古主義や右翼は過去の一時期に理想を見いだす動きである。
理想主義という面においては、理想郷を未来に設定する左翼とそれほど変わらない。
保守が過去を重視するのは、未来につなぐため。
伝統の重視は過去の美化ではない。
保守は伝統に培われた常識を大切にし、非合理的に見える伝統や慣習を理性により裁断することを警戒する。
伝統とは、人間の行動、発言、思考を支える歴史的に培われた制度や慣習、価値観のこと。
保守が伝統を重視するのは、個々の事例における先人の判断の集積と考えるから。
原理主義と右翼について中島岳志さんの説明。(「真宗」2017年3月号)
原理主義あるいは復古主義は、古代は素晴らしかったが、その後、外国から入ってきて駄目になった、元に戻ろうという思想。
過去の人間も、現在の人間も、未来の人間も不完全である以上、過去のある一地点に回帰したところで、それは過去の問題に直面するだけである。
保守が立脚すべき立場は、どこかの時代を絶対化、理想化することではない。
人間が不完全である以上、その人間によって構成される社会も不完全だから、昔に戻っても何も解決しない。
未来の人間も不完全なら、未来には未来の問題があるから、未来も絶対ではない。
完成された時代など存在しないから、どの時代も絶対化できない。
保守は何も変えないのではなく、保守するために変わらなくてはならないという立場。
世の中が推移していくので、大切なものを守るために変わっていかないといけない。
ただし、一気に変えようとしてはならない。
伝統や慣習に謙虚になりながら、漸進的に変えていこうというのが保守思想。
伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』に書かれている右翼の歴史の要約。
明治以降、右翼は反体制的・革新的な勢力として保守に対抗する側に位置づけられた。
反体制派が、民族の立場から近代化に反対する右翼と、階級の立場から反対する左翼に分かれ、真ん中の保守を左右から挟撃するという構図である。
ところが、戦後、右翼団体はアメリカの反共政策のもとで左翼勢力の伸張を抑え込もうとする保守政権と結びつき、反共活動の尖兵として左翼を弾圧する側になる。
右翼団体は保守政権や財界と結びつき、天皇中心主義や国粋主義などを標榜しながら、親米反共の旗印を掲げて活動するようになった。
70年安保の前に登場した新右翼は民族派と称し、反米反ソの立場だった。
その後、再び保守と連帯し、体制的・保守的な勢力として左翼と対抗する。
日本では権力に追従するのが保守ということになっている。
樋口直人『日本型排外主義』による、既成右翼の特徴。
既成右翼に関する代表的な研究は、天皇制に象徴される権威主義的な伝統主義と反共主義を戦後日本の右翼イデオロギーとしている。
①天皇および国家に対する絶対的忠誠
②共産主義、社会主義またはこれに同調する勢力への反対、警戒
③理論よりも行動の重視
④民族的伝統、文化の護持と外来思想、文化への警戒
⑤義務、秩序、権威の重視
⑥民族的使命感
⑦命令系統における権威主義
⑧家族主義的全体主義
⑨保守的傾向
⑩家父長的人間関係
⑪インテリ層に対する警戒
⑫一人一党的傾向
⑬少数精鋭主義
ところが、天皇を中心とする復古主義は古くさすぎて興味を持てない人が増えた。
物江潤『ネトウヨとパヨク』によるネトウヨとパヨクの定義は、「強い政治的主張をもつ対話できない人」です。
「保守・リベラル」と「ネトウヨ・パヨク」との違いは、対話が可能かどうか。
ネトウヨと保守は本来相容れないように思われます。
渡辺靖「アメリカニズムと不寛容社会」(たばこ総合研究センター編『現代社会再考』)にこんなことが書かれています。
今の日本社会は、コミュニティーの関係が薄くなり、個人が孤立化している。
その一方で、付和雷同的な傾向がある。
つながりから解放されると、一人ひとりは自立しているが、孤独な個人となってしまう。
周囲に頼れる人がいない、そういう社会では、隣人でさえ信頼できず、多数派や国家権力に自ら進んで服従していく。
孤独になっていくベクトルと、特定の多数派や権力にすがっていくベクトルが矛盾しない。
バブル崩壊後30年以上も経済停滞が続き、格差は拡大しているということもあり、排外主義の声が高まって極右政党が支持を広げています。
これからの日本、どうなるのか心配です。
渡辺靖さんの、信頼と寛容はセット、信頼してるから寛容になれるという言葉、そのとおりだと思います。