三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

スーザン・A・クランシー『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』2

2009年01月13日 | 問題のある考え

宇宙人に誘拐されたと信じ込むことは私には妄想だとしか思えないのだが、オーラや霊が見えるということや、聖母マリアが現れてお告げをしたということなども、嘘をついているのでなければ妄想だと思う。
考えてみると、神が世界を創造したとか、死後の世界で死んだ人とまた会えるとか、あるいは生まれ変わりがあると信じるのも奇妙な考えである。

スーザン・A・クランシーによると、体験に対するおかしな説明、まちがった解釈が妄想である。
「妄想とは、反証する証拠があるにもかかわらず強く信じていて、まちがっていると証明されてもびくともしない誤った思い込みのことをいう」
「妄想(誤った思い込み)は、奇妙な体験を説明しようとする懸命な試みだ。そして、個人の体験の生々しさや緊迫感は、簡単に反論できるものではない」

ずっと以前、ある人が、妻が何年か前から病気になって調子がわるい、病院に行っても原因が何かよくわからない、妻が病気になったころ墓を建てた、ばからしいとは思うがほかに病気の原因となるようなものは思い当たらない、というようなことを言われ、びっくりしたことがある。
だったら、孫が生まれた、自民党が衆院選に圧勝した、近所の人が引っ越したなどを病気の原因と考えてもいいのに、どうして墓のせいにしたのだろうかと思ったものだ。

でも、原因不明の病気に何らかの説明がほしいと思うのは人情である。
人は意味のない苦しみには耐えられない。
苦悩を抱えている人は不安にさせたり混乱させる体験や感情に対する説明を求め、問題や苦悩が解き明かされたり、苦しみの意味を見つけると安心するものである。
もっとも、墓をこしらえたことが病気の原因だというのは誤った説明(たぶん)ではあるが。

宇宙人に誘拐されたという信じ込みにしても、「ふつうとはちがう奇妙で厄介な体験を説明したいという気持ちを反映しているのだ」とクランシーは言う。
ただし、クランシーによるとその体験というのが、目が覚めたときにどうしてパジャマが床にあったのか、何で鼻血が出たのか、背中のアザ、自分は人とはちがうと感じている、そして睡眠麻痺(どうして金縛りという言葉を訳者は使わないのか)といったことなのである。
そういう体験をしても、多くの人は気にしないし、特別な原因があるとは考えない。
まして宇宙人に誘拐されたのではと思いもしない。
ところが、宇宙人に誘拐されたと信じている被験者はアブダクションの記憶がないにもかからわず、ひょっとして宇宙人に誘拐され、記憶を消されたかもしれないと思うわけである。

考えられる原因はいくらでもあるのに、なぜアブダクションという説明を選ぶのか、どうして宇宙人に誘拐されたということで納得するのだろうか。
「研究の被験者のほとんどが、エイリアンよりもっと合理的でありえそうなほかの説明についても検討したのに、結局は否定していたことが不思議だった。なぜあえて異様な説明を選ぶのだろうか?」

まず言えることは、アメリカでは多くの人が宇宙人による誘拐があるかもしれないと思っているわけだから、アブダクションは日本人が思うほど奇妙な考えとは言えないのかもしれない。

そうして彼らは催眠療法を受けて、記憶をありありとよみがえらせるのである。
「アブダクションの記憶がある人のほとんどは催眠をはじめとする精神療法の技法を使って記憶を獲得していた」
退行催眠によって子どものころの性的虐待を思い出したり、過去世の記憶をよみがえられるように、アブダクションでも催眠療法がからんでいるわけである。

しかし、催眠療法によって思い出した記憶は正確ではないし、自分で作り出した偽の記憶であることが多いそうだ。
多くの人は、体験したことの正確なコピーが頭のなかに保存されていて、催眠が思い出させてくれると信じている。
無意識の奥に隠れていた過去の秘密をしゃべるというわけだ。
この考えはまちがっているとスーザン・A・クランシーは言う。
「実際に起きた出来事の記憶を取り戻そうとしても、たいていは役に立たないばかりでなく、偽りの記憶―現実の出来事ではなく、人から言われたり、自分で想像したりした出来事の記憶―をつくりだしやすくなるのだ」

クランシー自身も大学院生仲間に催眠をかけてもらい、小学校時代にいじめられたことを思い出した。
ところが、クランシーの姉に確認すると、いじめは偽りの記憶だったとわかる。

我々がおぼえているのは体験したことの断片であり、その断片をもとにしてこういう経験をした、自分の人生はこうだったのだと物語を作り出すのである。
にもかかわらず、およそ半数の臨床心理士が、催眠下で現れた記憶は催眠を使わずに現れた記憶より正しいと思っているそうだ。
そこでますます催眠療法が行われ、宇宙人に誘拐されたと信じ込む人が増えるというわけである。

奇妙な信じ込みや偽りの記憶を持った人に共通していること
1、空想したり、ふつうとちがう信じ込みやアイディアを抱いたりする傾向がある
2、心が乱される体験(睡眠麻痺や不安や人間関係の問題)が立てつづけに起こり、その原因を追究している
3、信念体系

信念体系ということだが、自分の苦しみの説明をする物語には、「わたしたちがもともと持っていた信じ込みや先入観や偏見が反映されている」のである。
信念体系は個人的なものだけではなく、文化的社会的でもある。
よくないことと墓とを結びつけることは日本人の信念体系だと言っていいと思う。
高橋紳吾氏によると、憑きものは世界中で見られるが、何が憑くかは国によって違うそうだ。
「ヨーロッパでは悪魔憑きなんてのがあるけれども、先祖の霊が憑くなんてことはないんですね。それから神様が憑くこともないんです」

臨死体験の内容も民族、宗教によって異なっている。
奇妙な体験の説明が妄想かどうかは文化、社会による、つまりその説明を信じる人がどれくらいいるかで決まるのかもしれない。

退行催眠によって前世の記憶を思い出すということにしても、最初から輪廻転生はありえると思っている人が過去世の記憶は真実だと信じ込むそうだ。
「研究者たちは、対照群の被験者に催眠をかけ、過去生で起きた出来事を鮮明に思い描くよう指示する実験を行なってきた。予想どおり、空想傾向がある人は、体験をつくりだした。だが、過去生の体験をつくりだせるからといって、それを実際に信じるとは限らない。はじめから輪廻転生はありえると思っている被験者だけが、想像したことを信じやすかった」
とクランシーは言う。
宇宙人に誘拐されたと主張する人も、宇宙人は存在し地球にやって来ていると、もとから信じている。
選んだ説明が事実かどうかは問題にはならないのである。

そして、クランシーによると「苦しみの原因についての説明を見つけると、その苦しみの責任から解放されることがよくある」そうだ。
たとえば、生きづらさは子ども時代に受けた虐待のせい、宇宙人のせい、墓が原因だなどと考えれば、精神的な苦しみを説明し、責任を回避できる。

ここらあたりまでは私も納得できるのだが、ここからが問題。
クランシーは
1,わたしたちの信じ込みは物語的に見て真実であるのか?
2,その信じ込みは、わたしたちに意味と価値をあたえてくれるのか?
3,エイリアンに誘拐されたと信じることによって、人生の厄介な面を理解できるようになるのか?
と問う。
クランシーの結論としては、催眠療法によって宇宙人に誘拐され、人体実験されたという偽の記憶を作られることはそう悪いことではないと考えているようなのである。

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8 コメント

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特に宗教はもっていませんが (Unknown)
2009-01-13 15:27:54
>神が世界を創造したとか、死後の世界で死んだ人とまた会えるとか、あるいは生まれ変わりがあると信じるのも奇妙な考えである。
 
驚くばかりの生臭ぶり。五体投地で仏を見るなんてのも、端から信用しないわけですか。
返信する
神秘体験 ()
2009-01-13 16:39:58
一回や二回、五体投地しても仏を見ることはないでしょう。
何十回、何百回と五体投地を繰り返す中で仏のビジョンを見ることもあるとは思います。
それは神秘体験であり、禅で言う魔境かもしれません。
ある意味、退行催眠によって過去世を思い出すのと同じ体験だと思います。
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特に宗教はもっていませんが (Unknown)
2009-01-13 18:30:00
それでも坊さんですか。「好相行」とは五体投地1日に3000回でしょう。想像に絶する行ですよ。
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苦行 ()
2009-01-14 08:10:04
仏の三十二相が見えたからといって、本当の仏を見たのかどうかはわかりません。
オウム真理教でも五体投地を何時間もするという行がありました。
しかし、釈尊は苦行を否定しています。
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特に宗教はもっていませんが (Unknown)
2009-01-14 09:02:00
>本当の仏を見たのかどうかはわかりません
>釈尊は苦行を否定しています。
 親鸞は好相行をやりましたね。仏を仰ぎたいというのは道を求める人の願いでしょう。愚直かもしれないがこの世ならぬ修行でもしないことには、聖なるものには合えないのではないですか。
 頭で考えて理屈を言って、命がけの行などしたことがなさそうなあなた。だから、気品がない。
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変成意識 ()
2009-01-14 15:21:54
仏を見るとしても、自分が見たものはいったい何なのか、仏を見るとはどういう意味があるのかをきちんと押さえなくてはいけないと思います。
というのが落とし穴があるからです。
その落とし穴を禅では魔境と言い、オウム真理教の信者はその落とし穴にはまってしまったのでしょう。
釈尊は命がけの修行をしましたが、苦行では覚りに至ることはできないと放棄しました。親鸞は比叡山を下りました。
釈尊や親鸞が捨てた道をどうして選ばなければいけないのでしょうか。
もしも「この世ならぬ修行」をしなければいけないとしたならば、在家の人間には無理です。
釈尊の教えはそういうものではありません。
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特に宗教はもっていませんが (Unknown)
2009-01-15 09:54:35
 悪人こそが救われる、と悟ったのが親鸞でしょう。仏の慈悲とは、誰をも漏れなく救うものです。行など関係なしに。
 先哲とあなたとの決定的な違い。先哲の血のにじむような悟りに乗っかり、頭で考えて理屈を言って、命がけの行などしたことがなさそうなあなた。

>聖母マリアが現れてお告げをしたということなども、嘘をついているのでなければ妄想だと思う。
 聖母マリアの出現についてはバチカンで科学的な調査がなされる。
 返事はいりません。もう来ませんから。
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科学的証明? ()
2009-01-15 17:11:55
>仏の慈悲とは、誰をも漏れなく救うものです。行など関係なしに。

その通りだと思います。

>頭で考えて理屈を言って、命がけの行などしたことがなさそうなあなた。

頭だけで考えていることはおっしゃるとおりです。
だけど、命がけの修行をしないと何も言えないとか、わからないというのはおかしいと思います。

>聖母マリアの出現についてはバチカンで科学的な調査がなされる。

バチカンが認めて奇蹟はたくさんあります。
だけど科学的に奇蹟だと証明されたかどうかは疑問です。
返信する

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