三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

曾野綾子『老いの才覚』(2)

2021年01月14日 | 

曾野綾子さんは『老いの才覚』で教育についても語っています。

教育の問題も大きいですね。戦後、日教組が、何かにつけて、「人権」「権利」「平等」を主張するようになりました。その教育を受けた人たちが老人世代になってきて、ツケが回ってきたのだと思います。

曾野綾子さんは人権嫌いのようです。
独裁国家では、国民の人権や自由を認めず、国民を拉致し、拷問し、殺すなどします。
そういうのをどう思っているのか聞きたいです。

昔の老人には「遠慮」という美しい言葉がありました。私が小さい頃、母たちの世代はよく「お邪魔になるといけないから」などと遠慮したものです。
しかし今では、だれもが「それをする権利がある」と言う。戦後の教育思想が、「あの人は髪を洗ってもらっているのに、私は自分で洗わされた」「損をした」という貧困な精神の老人を作ったのです。
「損をすることには黙っていない」というのも日教組的教育の欠陥です。

精神の貧困の原因をこのように述べます。

なんでもかんでも権利だとか平等だとか、極端な考え方がまかり通る世の中になってしまったのは、言葉が極度に貧困になったせいもあると私は思います。言語的に複雑になれない人間は、思考も単純なのです。

そうして読書と作文を勧めます。
しかし、小説家である曾野綾子さんの論理は単純すぎると思うのですが。

人に頼るなと叱咤します。

老人といえども、強く生きなくてはならない。歯を食いしばってでも、自分のことは自分でする。(略)
人の好意に甘えると、どんどん依存心が強くなります。

しかし、曾野綾子さんが足を骨折したり、目が見えなくなって、それでも一人で旅行をし、時にはまわりの人に頼ることが必要だと自慢そうに言っています。
誰かと一緒に出かければいいと思いました。

国を信頼するなとも言います。

私は、最終的に国家さえも信じてはいけないような気がしています。ほんとうのことを言うと、私は年金制度など撤廃して、めいめいで老後に備えたほうがいいと思っています。その代わり、国は保険料をとらないようにして、国民が年をとってどうなっても責任を負わない。これは極論ですけれど、社会保険庁みたいないい加減なところにはもう任せられません。


新自由主義の信奉者なのか、こんなことも言っています。

あらゆる点で守られ、何かあれば政府がなんとかしてくれるだろうと思っているから、自分で考えない。してくれないのは政府が悪い、ということになるわけです。


大川隆法『信仰の法』に同じようなことが述べられていました。

「大きな政府」が行うような政策等に頼ろうとする気持ちはあまり持たないほうがよいということです。
結果的には楽になるところも多少はあるかもしれませんが、国民の最低賃金を政府が上げなければいけないような国は、ろくな国ではありません。これでは駄目です。すでに「自由が死んだ国」に入っています。

菅首相の「自助、共助、公助」です。
社会的弱者への冷たさが共通しています。

日本では、万が一、生活が保てなくなれば、生活保護を受けられます。しかし、国家に頼って人の税金で食べようという姿勢は、あまり感じがよくないですね。他人のお金をあてにしなければ自分の生活が成り立たないというのは、どこかおかしいと思います。
人はいきなり老年になるわけではありません。長い年月の末に到達するのですから、老後の暮らしに備えて、貯蓄はしておくべきでしょう。いまの日本人の間違いは、複るから「備えあれば憂いなし」と言われているのに、備えもしない人が、かなり増えたことだと思います。

この考えは、貧困は本人が努力しなかったからだという通俗道徳です。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%E9%80%9A%E4%BF%97%E9%81%93%E5%BE%B3

他にも突っ込みどころ満載ですが、一つ紹介します。

振り返れば、ひと昔前までは、人は死ぬまで働くのが当たり前でした。七十歳になっても八十歳になっても籠をしょって、石ころだらけの坂道を上がって畑に行っては仕事をし、取れた野菜を背負って帰ってくる足腰がしっかりした老人が多かったものです。

ひと昔前がいつなのかわかりませんが、戦前には70歳、80歳まで元気に生きる人は少なかったはずです。
昭和10年の20歳の平均余命は、男40.41歳、女43.22歳ですから。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/19th/gaiyo.html
それに、そんな年になってまで重労働をしなければいけない社会が生きやすいわけがありません。

江戸しぐさを賛美しているのも滑稽です。
https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20150626-00046971/

そんな曾野綾子さんですが、人間の弱さに寛容なんだそうです。

あとで間違ったと気づいても、信仰があると、私の眼がなかったとはあまり思わない。そういう誤差や人間の弱さを容認できるんですね。自分に対しても、人に対しても厳しくしなくなって、とても楽になれます。

できる人はできない人の気持ちがわからないんだと思います。

夫の三浦朱門さんは失言の大家ですが、曾野綾子も負けてはいません。

元を取るという発想は、商人の行為なんです。元を取ろうとしないのが、人間の上等な生き方だと思います。

商人は下等なんだそうです。

どんな人が『老いの才覚』を読むのかと思いますが、若い人は読まないでしょうから、「ガミガミ言われたい」老人なのでしょうか。
戦前の日本や日本人を美化する人は多いですが、実際はどうだったのか、大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』を読んでほしいと思います。

コメント
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