3 カースト制度の歴史
カースト制度は時代、地域によって大きく違っており、原則はあっても、現実は違っている。
ヴァルナ=ジャーティ制としてのカースト制度は、ヴァルナ制の成立を前提として、そのうえにジャーティと総称される、さまざまな人間集団が広範に形成された時、はじめて成立するものである。
ヴァルナとジャーティの概念的区別が未確立の古代インドにおいては、カースト制度は成立しえない。
カースト制度の大枠であるヴァルナ制は、アーリア人農耕社会が成立した後期ヴェーダ時代(BC1000年頃~BC600年頃)にガンジス川上流域で成立し、『マヌ法典』(BC200年頃~AD200年頃)などのヒンズー法典により理論化され、インド各地に広まった。
ジャーティもヴァルナ体制のもとで発展した。
カースト制度が形成されたのは、7世紀から12世紀にかけての、インド中世社会形成期のことである。
そして、イギリスによる植民地支配下、およびインド独立後に大きな変容を示した。
カースト制度の歴史にとって、インド古代史はその前史ということになる。
前期ヴェーダ時代(BC1500年頃~BC1000年頃)には、外来者である支配者と在来住民というおおまかな区分しかなかった。
4ヴァルナ制の枠組みが形をなすのは、アーリア人が農耕社会を完成させた後期ヴェーダ時代の半ばころである。
バラモンは司祭職と教育職(ヴェーダの教育)を独占する。
クシャトリアは政治と軍事を担当する。
ヴァイシャは農業、牧畜、商業に従事する庶民階級。
シュードラは隷属民。
シュードラの下に賎民階層が存在し、その最下層にチャンダーラが位置していた。
『ジャータカ』(BC3世紀頃)では、貴い生まれ(ジャーティ)、家柄(クラ)はクシャトリヤとバラモン、卑しいのはチャンダーラ、プックサと区別されており、ヴァルナ以下のチャンダーラ身分が古代においてすでにあったことがわかる。
上位3ヴァルナはアーリア社会の正式構成員で、再生族と呼ばれ、バラモンの指導する宗教に参加する資格をもつ。
シュードラは一生族で、原則論では、シュードラは上位3ヴァルナに常に奉仕しなければならず、アーリア人の宗教への参加を完全に拒否されている。
シュードラの大部分はアーリア人の支配下に置かれた先住民で、アーリア人の一部がシュードラに加えられていたが、その割合は少なかった。
結婚は、同じヴァルナに属する男女の間で行われるのが原則である。
もっとも、ヴァルナ制は成立の当初より理論と現実の間の矛盾に満ちており、バラモンは現実の生活の場において、原則を適当に修正したり、ゆるめたりしていた。
再生族は儀礼的な浄性が求められたから、シュードラの料理したものを食べたり、シュードラの手から与えられた水を飲むことは、原則として禁じられている。
しかし、日常生活でシュードラ差別を貫徹することは不可能だから、抜け道によって現実との妥協をはかった。
『ジャータカ』などに見られる当時の社会生活の中で、ヴァイシャとシュードラはあまり区別されておらず、シュードラ差別の様子も見えない。
ヴァイシャとシュードラは自らを「ヴァイシャ」「シュードラ」と呼ぶことも、他者から呼ばれることもない。
それぞれ1つのまとまった社会集団として機能することはなく、両ヴァルナの区分も明確なものではなかった。
日常生活においては富裕か貧困かが問題とされ、差別も現実に即した形で行われた。
バラモンの地位も相対的に低下している。
仏典には「たとえシュードラであっても、財産、穀物、銀、金によって富むならば、クシャトリアもバラモンもヴァイシャも、彼より先に起き、後に寝、いかなる仕事でも進んで勤め、彼の気に入ることを行い、お世辞を言う」と表現している。
『マヌ法典』には、シュードラ差別の原則と、現実との妥協をはかった規定が見出される。
時代が下がるにしたがって、次第にヴァイシャとシュードラとの区別がいっそう曖昧化し、シュードラを排除した「アーリア(再生族)社会」の観念が後退し、シュードラを加えた「ヒンドゥー社会」の観念が前面に出てきた。
バラモンは伝統的なシュードラ観の変更を余儀なくされ、農村に住むバラモンはシュードラのために冠婚葬祭などの儀式を執り行い、その報酬で生活を支えなければならなかった。
バラモン教からヒンドゥー教への展開とともに、宗教上のシュードラ差別は実体をますます失っていく。
インド中世の7世紀以降、ヴァルナの意味内容に変化を見せていった。
ヴァイシャは庶民を意味していたが、もっぱら商業に従事する集団に限定され、シュードラは隷属民だったが、農耕、牧畜、職人が包摂されるようになった。
玄奘(7世紀)は、ヴァイシャ=商人、シュードラ=農民という対応関係を記している。
ヴァルナ制の枠組みを固定化するために浄・不浄観が強調され、その結果、隷属下層民のある集団がヴァルナ制の枠組みの外へ排除され、排除された人々は不可触民として位置づけられていく。
不可触民制が発達して不可触民の数が増大し、古代のシュードラ差別のかなりの部分が不可触民差別の中に吸収されていった。
アル=ビールーニ(11世紀)は「ヴァイシャとシュードラとの間にはそれほど大きな違いはない」と記している。
ジュニャーネーシュヴァラ(12世紀)は、シュードラの義務として、再生族への奉仕、芸能、耕作、牧畜、商業を挙げている。
今日のインド社会では一般に、ヴァイシャは商人のヴァルナとされ、農民はシュードラに属するとされている。
シュードラ(奴隷)と不可触民の違いがわからなかったのですが、これで納得しました。