カビール・カーン『バジュランギおじさんと、小さな迷子』で、迷子になった6歳の女の子の世話をしている主人公が、女の子は色が白いのでバラモンだとうれしそうに言います。
カーストのこだわりが今も強いことに驚きました。
ちなみに、ハヌマーン神の熱心な信者である主人公を演じたサルマン・カーンはイスラム教徒。
ということで、カースト制度のことを知りたいと思い、何冊か読みました。
山崎元一『古代インド社会の研究』
小谷汪之編『インドの不可触民』
小谷汪之『不可触民とカースト制度の歴史』
藤井毅『インド社会とカースト』など
池田練太郎「仏教教団の展開」(『新アジア仏教史 2』)など。
1 カースト制度とは
カーストという言葉はポルトガル語で、血筋、人種などを意味する。
カーストに対応した概念はヴァルナとジャーティとされ、ヴァルナ=ジャーティ制度ともよばれる。
すべてのジャーティがヴァルナの枠組みの中に位置づけられ、上下に序列化された社会制度のことである。
ヴァルナ制はバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの4つの種姓と不可触民を基本的枠組みとする身分秩序。
バラモン 祭祀階級
クシャトリア 王と一族、戦士
ヴァイシャ 庶民、主に商人
シュードラ 奴隷、使用人、農民、職人
不可触民(アウトカースト)
ジャーティは、食事を共にし、通婚を許容し、職業を継承する集団。
ヴァルナとジャーティの関係、ジャーティの意味は時代や地域によって大きく異なる。
ジャーティのことをカースト制と書いている人もいます。
山崎元一氏によるカースト(ジャーティ)制度の特徴。
①各カーストは内婚集団であり、飲食物と共同食事に関する諸規制をもち、構成員はカースト固有の職業を世襲する。
②カースト間には、バラモンより不可触民に至る上下の儀礼的階層序列が存在する。
③浄・不浄の観念と業・輪廻の観念とが、カースト制度を思想的に支えている。
ヴァルナが、現実の生活に直接かかわる社会区分というよりは、理念的・宗教的な立場からする社会階層の大区分であるのに対し、ジャーティは、住民の日常生活と直接結びつき、地域社会において独自の機能を果たす閉鎖的・排他的な集団を意味しているそうです。
2 古代インドの歴史区分
山崎元一『古代インド社会の研究』では、古代インドを以下のように時代区分します。
①初期ヴェーダ時代(紀元前1500年頃~前1000年頃)
アーリア人がアフガニスタンからインダス川上流のパンジャブ地方に侵入し、牧畜を主として農業を副とする生活に入った時代。
4ヴァルナの区分は存在していなかった。
②後期ヴェーダ時代(紀元前1000年頃~前600年頃)
アーリア人がガンジス川上流域、デリーあたりに進出し、先住民を征服し、農耕社会を築いた時代。
社会を区分するヴァルナ制が成立した。
被征服民の多くはシュードラと位置づけられた。
人間を不可触視する観念が生まれ、ヴァルナ社会の周縁に存在する未開民の一部が不可触民とみなされるようになった。
③後ヴェーダ時代(紀元前600年頃~前320年頃)
アーリア人がガンジス川中流域に進出し、政治・経済・文化の中心となった時代。
コーサラ国、マガダ国などが成立し、商人階級の活動が盛んになり、都市が発展した。
先住民はヴァルナ社会に編入され、先住民の有力者からも、クシャトリアやバラモンに加えられる者がでた。
④マウリヤ時代(紀元前320年頃~前180年頃)
統一国家が建設された。
⑤後マウリヤ時代 紀元前180年頃~320年
各地に地方政権が興り、西北インドに中央アジアから侵入が相次ぐなど、政治的に不安定な時代。
都市の商工業活動が盛ん。
正統派のバラモン教が王朝の保護下に復活し、ヒンドゥー教が形成された。
大乗仏教の成立。
⑥グプタ朝(320年~550年頃)
インド古典文化の黄金時代。
ヒンドゥー教が隆盛したのに対し、仏教は衰退の傾向を見せはじめる。
⑦後グプタ時代(550年頃~1206年)
群雄の割拠する分裂状態。
都市の商工業は衰え、村落を基盤としたヒンドゥー教が栄え、都市の住民によって支持されてきた仏教は衰退した。